ニコラ・ド・スタール
2008年6月4日 芸術
南フランスのアンチーブという海沿いの街に、3年半暮らした。
岬の城壁に張り付くように、要塞のような城、グリマルディがあり、そこは、現在、ピカソ美術館として使われている。
その美術館の最上階の、光溢れる静謐な空間で、私はニコラ・ド・スタールに出会い、恋をした。彼の作品と、彼自身に。
色が、形が、浮き上がってきた。色の、形の、配置があまりにも的確なものだから、私はそこに、理想の立体を見た。
日曜の夕方、暇があると、彼の部屋を訪れた。閉館30分前だと、やる気のない受付が、「もーじき閉まるから、タダでいいよ」と、通してくれた。
そうだよ。恋人との短い逢瀬に、金は要らないぜ?
彼は、1955年、41歳のとき、グリマルディの近くの海に面したアトリエの窓から身を投げた。
そのことについて詳しく調べて考えると、こちらの精神が危うくなりそうなので、あえてその辺は避けて。
ひたすらに作品と向き合い、作品に圧倒され、作品に入っていった。
今、私の台所には、白い額縁に入った蒼い静物画が置いてあって、私は彼と一緒に暮らしている。
岬の城壁に張り付くように、要塞のような城、グリマルディがあり、そこは、現在、ピカソ美術館として使われている。
その美術館の最上階の、光溢れる静謐な空間で、私はニコラ・ド・スタールに出会い、恋をした。彼の作品と、彼自身に。
色が、形が、浮き上がってきた。色の、形の、配置があまりにも的確なものだから、私はそこに、理想の立体を見た。
日曜の夕方、暇があると、彼の部屋を訪れた。閉館30分前だと、やる気のない受付が、「もーじき閉まるから、タダでいいよ」と、通してくれた。
そうだよ。恋人との短い逢瀬に、金は要らないぜ?
彼は、1955年、41歳のとき、グリマルディの近くの海に面したアトリエの窓から身を投げた。
そのことについて詳しく調べて考えると、こちらの精神が危うくなりそうなので、あえてその辺は避けて。
ひたすらに作品と向き合い、作品に圧倒され、作品に入っていった。
今、私の台所には、白い額縁に入った蒼い静物画が置いてあって、私は彼と一緒に暮らしている。
コメント