日本の医学教育の異常さ
2008年10月24日 学校・勉強 コメント (2)「わたし、大きくなったら、お医者さんになって、戦争をしている国でケガをした子供を助けに行く」
と、次女が言い出したのである…
彼女にとって、医師という職業は、学校の先生と同じくらい身近で、わかりやすい。
おまけに、ナイチンゲールやシュバイツァーなどの伝記を愛読していて、「国境なき医師団」を創設したのがフランス人であることに、(異常に)誇りを感じている。
もしも、私たちがフランスで暮らしていたなら、私は気楽に、
「どーぞ、ご自由に。お勉強、がんばってね~」
と、言えるだろう。
フランスの教育は、わずかな例外を除いて、幼稚園から大学まで、公立だ。もちろん医学部も。
しかーし!
日本で暮らしていると、話は複雑になる
医学教育を受けようと思ったとき、相当な成績優秀者でない限り、国公立に入ることは許されない。そこで、許されないだけだったら、あきらめもつくだろう。
だが、私立の医学部というものが数多く存在し、ある程度の成績優秀者ならそこで医学を修められる。高額の授業料を払うという条件付で。
そして、それは普通の家庭で払えるような金額ではない。
つまり。
同じくらい成績がよくて、医学を目指したいと思う若者がいる中で、それが許されるのは、親が裕福な場合にのみに限られてしまうのだ。
これは、日本の医学界において、マイナス要素である。
庶民の気持ちがわからない人間が、数多く医者になっていくのだから。
(次女が某私立大学病院に入院していたとき、女性の研修医が、ブルガリの時計をキラキラ輝かせていて…思わず、「ご両親のご職業はなんですか?」と、聞きたくなったよ?)
(そうそう、長女のお友達が医学部を目指しているのだが、彼女のお父上は開業医で、都内の一等地の豪邸で暮らし、別荘がふたつあって、外車が3台あって、大型クルーザーがあって…)
今の日本の医療には、有り余る問題点があるが、医師の養成の方法を見直すことも大きな課題ではないかと、私は思う。
そしてなによりも。
国民の個人の資産に頼らなければ必要な数の医師の養成が出来ないなんて、日本という国は、やはりおかしい。
と、次女が言い出したのである…
彼女にとって、医師という職業は、学校の先生と同じくらい身近で、わかりやすい。
おまけに、ナイチンゲールやシュバイツァーなどの伝記を愛読していて、「国境なき医師団」を創設したのがフランス人であることに、(異常に)誇りを感じている。
もしも、私たちがフランスで暮らしていたなら、私は気楽に、
「どーぞ、ご自由に。お勉強、がんばってね~」
と、言えるだろう。
フランスの教育は、わずかな例外を除いて、幼稚園から大学まで、公立だ。もちろん医学部も。
しかーし!
日本で暮らしていると、話は複雑になる
医学教育を受けようと思ったとき、相当な成績優秀者でない限り、国公立に入ることは許されない。そこで、許されないだけだったら、あきらめもつくだろう。
だが、私立の医学部というものが数多く存在し、ある程度の成績優秀者ならそこで医学を修められる。高額の授業料を払うという条件付で。
そして、それは普通の家庭で払えるような金額ではない。
つまり。
同じくらい成績がよくて、医学を目指したいと思う若者がいる中で、それが許されるのは、親が裕福な場合にのみに限られてしまうのだ。
これは、日本の医学界において、マイナス要素である。
庶民の気持ちがわからない人間が、数多く医者になっていくのだから。
(次女が某私立大学病院に入院していたとき、女性の研修医が、ブルガリの時計をキラキラ輝かせていて…思わず、「ご両親のご職業はなんですか?」と、聞きたくなったよ?)
(そうそう、長女のお友達が医学部を目指しているのだが、彼女のお父上は開業医で、都内の一等地の豪邸で暮らし、別荘がふたつあって、外車が3台あって、大型クルーザーがあって…)
今の日本の医療には、有り余る問題点があるが、医師の養成の方法を見直すことも大きな課題ではないかと、私は思う。
そしてなによりも。
国民の個人の資産に頼らなければ必要な数の医師の養成が出来ないなんて、日本という国は、やはりおかしい。