害について」という、柄本明のひとり芝居を見に行った。
うちの近所にできた自宅兼劇団稽古場のアトリエへ。
すぐ目の前(2メートルくらいの距離)で演じているのに、
柄本明さんは、同じ空間にいる気がしなかった。
圧倒的な存在感を放っているのだが、
そばにいる気がしない。
別の次元の何かを見ているような感じ。
テレビや映画のスクリーンで見慣れているせいか?
チェーホフ原作の戯曲を体に染み込ませ、
自由自在に演じる芝居は、愉快すぎて夢を見ているようだった。
あと100回ぐらい見たい!
うちの近所にできた自宅兼劇団稽古場のアトリエへ。
すぐ目の前(2メートルくらいの距離)で演じているのに、
柄本明さんは、同じ空間にいる気がしなかった。
圧倒的な存在感を放っているのだが、
そばにいる気がしない。
別の次元の何かを見ているような感じ。
テレビや映画のスクリーンで見慣れているせいか?
チェーホフ原作の戯曲を体に染み込ませ、
自由自在に演じる芝居は、愉快すぎて夢を見ているようだった。
あと100回ぐらい見たい!
旅とあいつとお姫さま
2010年9月4日 演劇 コメント (3)
を、観に行った。カデットと。
テレーサの舞台は、本当に素晴らしい。
すみからすみまで素晴らしくって、何度でも見たくなる。
演技者たちのクオリティ、美術や衣装の芸術的完成度、ものがたり、そして演出…!
観劇後、ロビーにテレーサがいたので、少し話した。
「この劇は、このくらいの年齢の子供にふさわしいのよ」
と、カデットを見ておっしゃったので、
「私が見ても、大変素晴らしいです!!」
と、力説した…
カデットはテレーサのワークショップに参加したことがある。
テレーサは、力強くカデットの手を握ってくれた。
去年、杉並にできたこの劇場のカフェは、なかなかご機嫌な場所。
天井が高くて、壁に並べられたたくさんの絵本は読み放題。
「本格派カレー」は、ショウガの千切りが入っていて、風邪気味の私にふさわしい一品だった。コーヒーや紅茶も美味しくて、おまけに、リーズナブル。
「このカフェのためだけにでも、また高円寺に来たい」と、カデットは言った
テレーサの舞台は、本当に素晴らしい。
すみからすみまで素晴らしくって、何度でも見たくなる。
演技者たちのクオリティ、美術や衣装の芸術的完成度、ものがたり、そして演出…!
観劇後、ロビーにテレーサがいたので、少し話した。
「この劇は、このくらいの年齢の子供にふさわしいのよ」
と、カデットを見ておっしゃったので、
「私が見ても、大変素晴らしいです!!」
と、力説した…
カデットはテレーサのワークショップに参加したことがある。
テレーサは、力強くカデットの手を握ってくれた。
去年、杉並にできたこの劇場のカフェは、なかなかご機嫌な場所。
天井が高くて、壁に並べられたたくさんの絵本は読み放題。
「本格派カレー」は、ショウガの千切りが入っていて、風邪気味の私にふさわしい一品だった。コーヒーや紅茶も美味しくて、おまけに、リーズナブル。
「このカフェのためだけにでも、また高円寺に来たい」と、カデットは言った
カデットと、念願のおでかけ。
246沿いのオサレなカフェでランチして、劇場へ。
「にんぎょひめ」を見るのは、3回目のカデット。
1回目は父親と、2回目は姉と、そして、
「3回目は、お母さんと!」
いやー、もー。
ものすごく良かった。
美術も衣装も演出も、そしてもちろん俳優たちも。
素晴らしかった。美しかった。
イタリア人女性が演出するこの舞台を、
カデットが3度も見たがる理由が、よくわかった。
こんなにセンスのある舞台、始めてみたかも。
観劇後、同じ建物内でやってたインドのフェアに行った。
私は、インドのスカートを買い(エスニックの血が疼いたんだもん!)、
カフェで、チャイ&マンゴー・ラッシーを飲んでくつろいだ。
でも、カデットは、インド、好きじゃないんだって。
「わたし、インドに連れてかれたら、ものすごく不幸になると思う」って言うの。
だいじょうぶだよ、インドには連れて行かない。約束するよ。
それから、西友でカデットのリュックサック(アディダス!)を買って、緑道を散歩しながら家に帰った。
246沿いのオサレなカフェでランチして、劇場へ。
「にんぎょひめ」を見るのは、3回目のカデット。
1回目は父親と、2回目は姉と、そして、
「3回目は、お母さんと!」
いやー、もー。
ものすごく良かった。
美術も衣装も演出も、そしてもちろん俳優たちも。
素晴らしかった。美しかった。
イタリア人女性が演出するこの舞台を、
カデットが3度も見たがる理由が、よくわかった。
こんなにセンスのある舞台、始めてみたかも。
観劇後、同じ建物内でやってたインドのフェアに行った。
私は、インドのスカートを買い(エスニックの血が疼いたんだもん!)、
カフェで、チャイ&マンゴー・ラッシーを飲んでくつろいだ。
でも、カデットは、インド、好きじゃないんだって。
「わたし、インドに連れてかれたら、ものすごく不幸になると思う」って言うの。
だいじょうぶだよ、インドには連れて行かない。約束するよ。
それから、西友でカデットのリュックサック(アディダス!)を買って、緑道を散歩しながら家に帰った。
コンドルズ/狼たちの午後
2010年3月28日 演劇
を近所の劇場に見に行った。エネとカデットと3人で。
アイディアがごっちゃり詰め込まれた、抱腹絶倒の舞台だった。
神がかってるとすら感じる場面がいくつかあった。
畏るべし、近藤良平。
しかし一番面白かったのは、
開演前のスクリーンにドアップで登場した、学ラン+無精ひげの野村萬斎(この劇場の芸術監督ね)が、上演中の諸注意を身振り手振り+アフレコでやったことかも。
さすが狂言師、芸が細かくて、仕草が素晴らしかった。
そして、この演目を「こどもの劇場」にラインナップする我がS区に乾杯なのだ。
アイディアがごっちゃり詰め込まれた、抱腹絶倒の舞台だった。
神がかってるとすら感じる場面がいくつかあった。
畏るべし、近藤良平。
しかし一番面白かったのは、
開演前のスクリーンにドアップで登場した、学ラン+無精ひげの野村萬斎(この劇場の芸術監督ね)が、上演中の諸注意を身振り手振り+アフレコでやったことかも。
さすが狂言師、芸が細かくて、仕草が素晴らしかった。
そして、この演目を「こどもの劇場」にラインナップする我がS区に乾杯なのだ。
歌舞伎座さよなら公演
2009年12月3日 演劇
十二月大歌舞伎を見に行った。
Sa夫婦とEとSuちゃんと。
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 勘太郎
後見 松 也
千歳 鶴 松
翁 獅 童
二、新版歌祭文
野崎村(のざきむら)
お光 福 助
お染 孝太郎
後家お常 秀 調
久作 彌十郎
久松 橋之助
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )
山蔭右京 勘三郎
太郎冠者 染五郎
侍女千枝 巳之助
侍女小枝 新 悟
奥方玉の井 三津五郎
四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)
半助 染五郎
お葉 七之助
大工の辰 勘太郎
根岸肥前守 彌十郎
遣手お菊 萬次郎
丁兵衛 市 蔵
与兵衛 亀 蔵
佐平次 井之上隆志
紙屑屋久六 猿 弥
和尚実は死神 獅 童
石坂段右衛門 橋之助
女郎お染 扇 雀
女郎喜瀬川 福 助
四十郎 三津五郎
新吉 勘三郎
ナマ獅童も、ナマ勘三郎も、ナマ染五郎も堪能したぜ!
長女のバードウォッチング用の双眼鏡をもっていったので、表情もドアップで楽しめた。
「大江戸りびんぐでっど」は、クドカンの作・演出とゆうことで、期待が高かったが、“歌舞伎役者を使ったフツーの芝居”って感じで、革新的な歌舞伎というわけではなかった。残念なり。
それにしても、勘三郎は芸達者。芸達者すぎ!
Sa夫婦とEとSuちゃんと。
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 勘太郎
後見 松 也
千歳 鶴 松
翁 獅 童
二、新版歌祭文
野崎村(のざきむら)
お光 福 助
お染 孝太郎
後家お常 秀 調
久作 彌十郎
久松 橋之助
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん )
山蔭右京 勘三郎
太郎冠者 染五郎
侍女千枝 巳之助
侍女小枝 新 悟
奥方玉の井 三津五郎
四、大江戸りびんぐでっど(おおえどりびんぐでっど)
半助 染五郎
お葉 七之助
大工の辰 勘太郎
根岸肥前守 彌十郎
遣手お菊 萬次郎
丁兵衛 市 蔵
与兵衛 亀 蔵
佐平次 井之上隆志
紙屑屋久六 猿 弥
和尚実は死神 獅 童
石坂段右衛門 橋之助
女郎お染 扇 雀
女郎喜瀬川 福 助
四十郎 三津五郎
新吉 勘三郎
ナマ獅童も、ナマ勘三郎も、ナマ染五郎も堪能したぜ!
長女のバードウォッチング用の双眼鏡をもっていったので、表情もドアップで楽しめた。
「大江戸りびんぐでっど」は、クドカンの作・演出とゆうことで、期待が高かったが、“歌舞伎役者を使ったフツーの芝居”って感じで、革新的な歌舞伎というわけではなかった。残念なり。
それにしても、勘三郎は芸達者。芸達者すぎ!
縁あって、某落語家が脚色・演出・ちょこっと出演の芝居を、新宿のKホールに見に行った。
私は、いわゆる「演劇!」という感じの舞台が好きでない。
だって、ダサいんだもん。
舞台の上で俳優が声張り上げて語っているのを見ると、それだけで恥ずかしくなっちゃう。
演劇と演歌は、私にとっては同じジャンルかも。
クドカンが脚本書いた「メタルマクベス」でさえ、ちょっとなあと、思ってしまったのである。唯一楽しめる演劇は大人計画ぐらいか…
今日の舞台も、俳優たちが「演技」しているのを見るのは、正直つらかった。
が!落語家が登場した途端、舞台の空気が変わった。落語家の世界観が、全てを飲み込みこんだ。俳優たちのヒステリックな発声法に疲れていた私の耳は、落語家の発するやわらかい一言、一言に癒された。
落語家ってすごいなあと。
間の抜けた、間の取り方が、絶妙だった。
普段はひとりきりで舞台の全てを表現するのだから、
表現者として、最上級でないと、務まらないんだろうなあ。
私は、いわゆる「演劇!」という感じの舞台が好きでない。
だって、ダサいんだもん。
舞台の上で俳優が声張り上げて語っているのを見ると、それだけで恥ずかしくなっちゃう。
演劇と演歌は、私にとっては同じジャンルかも。
クドカンが脚本書いた「メタルマクベス」でさえ、ちょっとなあと、思ってしまったのである。唯一楽しめる演劇は大人計画ぐらいか…
今日の舞台も、俳優たちが「演技」しているのを見るのは、正直つらかった。
が!落語家が登場した途端、舞台の空気が変わった。落語家の世界観が、全てを飲み込みこんだ。俳優たちのヒステリックな発声法に疲れていた私の耳は、落語家の発するやわらかい一言、一言に癒された。
落語家ってすごいなあと。
間の抜けた、間の取り方が、絶妙だった。
普段はひとりきりで舞台の全てを表現するのだから、
表現者として、最上級でないと、務まらないんだろうなあ。