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2010年9月12日 ひとりごち

ふと思い出したこと。

エネを妊娠したことがわかり、幸せムードのある日、かかっていた近所のクリニックから電話があり、話があるからすぐに来院して欲しいと言う。内容を聞いても、直接先生の口から聞いて欲しいの一点張りで埒が明かなかった。
子宮ガンの検査をしたから、その結果がよくなかったのか?
非常に不安な気持ちで眠れない一夜を過ごし、クリニックへ行くと、
「血液検査の結果、トキソプラズマの抗体が陽性になっていた。妊娠前から抗体があるのであれば問題ないが、妊娠してからだと、赤ちゃんが水頭症などになる可能性がある」
と、言われた。
ショックで口も聞けないまま職場へ行き、黙って仕事をした。そのときのあらゆる風景を覚えている。
帰宅後、夫にそれを話した。時には涙ぐみながら、静かに話し合い、どんな子が生まれても、大切に育てようという気持ちがお互いに強いことを確かめ合った。もっとも夫はカトリックなので、最初から何の選択の余地もないわけだったのだが…。

気持ちを固めて母に電話したら、母もショックを受けて…
「そんな!私は、玉のような赤ちゃんが生まれてくるとばかり思っていたのに…」
母の涙声を聞いたら、無性に悲しくなった。
その辺のノラ猫を可愛がってしまう自分の習慣を、呪った…。

しかし。
私と夫は、あることを思い出した。
フランスでは結婚する際、区役所に出す書類の中に、健康診断書というものがある。
そのため、夫の家族のかかりつけのクリニックで、私たちは健康診断を受けたのだ。あの時、血も採られた。ということは!
夫は実家に電話して、クリニックの医師に連絡を取ってもらい、そのときの私の血液検査の結果をファックスしてもらった。すると! 私は、その時点で、トキソプラズマの抗体が陽性だったのである。「マダム、ご心配には及びません」というコメントつきで!

近所のクリニックへ行って、ファックスを見せると、医師は満面の笑顔になった。
「フランスは、素晴らしいね! 僕は、結婚する女性には、血液検査をするようにって勧めているんですよ。トキソプラズマは、妊娠初期に感染するのが一番危険だから、妊娠がわかった時点で検査して陽性だと、いつ感染したのかわからなくて悩んじゃうからね」

もっとも、フランスで結婚の時に健康診断書が必要なのは、エイズが蔓延しているからだ。その時点でお互いはっきりさせてから結婚しろという意味だ。


いずれにしても。
あのとき、どんな子どもでも受け入れる覚悟をしたのは、決して無駄ではなかったと思う。
私の神様からの、メッセージだったのかもしれない。

私とDN

フランス人母の受難・通学事情編
フランス人ママ達と話していて、いつも驚かれることがある。
それは、

「日本では、小学校に入ると、子供は一人で通学をする。親は送り迎えをしない。場合によっては(私学などに進学)、一人で電車通学もする」

ということ。

彼女たちは皆、ぎょっとして、
「信じられない!!!」
と、叫ぶ。

「6歳の子供に一人で道を歩かせるなんてこと、考えられないわ!」
と。

フランスでは、小学校課程が終わるまで保護者などが送り迎えをするのが義務だ。
治安の悪さが主な理由だろうけれど、送り迎えが「常識」となっているので、それ以外のことは考えられないようだ。

私が、
「ウチの子の学校では、登校班があって、各学期の始めの何週間かはグループで登校するの。それに、登下校の時間にはいつも、危険箇所に主事さんが旗持って立っている」
と説明すると、
「素晴らしいシステムね!」
と、感嘆の声を上げる。
仕事を持つ彼女たちは、子供の下校を引き受けるベビーシッターの確保に頭を悩ませているのだ。

もちろん、習い事にも付き添わなくてはならないから、ベビーシッターに頼むか、習い事を土曜日に集中させるかしなくてはならない。

「うちの次女は、ピアノと水泳とフランス語を習っているけど、ピアノと水泳は近所だから、一人で行かせてるよ」
という私の発言には、
「日本って、よっぽど平和なのね~」
彼女たちの開いた口はふさがらない感じ。

まあ、いろいろな事件はあるにせよ、やはり日本は他国と比較すると断然治安が良いのだ。



ところで、昨日、フランス語教室へも一人で行けることになった次女だけれど…
まだ、当分の間、私は彼女に付き添うだろう。
だって、それは、私達の、親密で、大切で、気持ちのよい時間だから。

私は、長女と次女を6年の時差で育てているわけだが。

最近、長女の小学生時代には見かけなかったものが、書店にはあふれている。
何かとゆうと、小学生を持つ親のための雑誌。
プレジデントファミリー、日経Kids+、エデュー、AERA with Kidsなどなど…。

雑誌で洋服やレストランを選んできた世代は、子育て情報も雑誌から得たいということなのだろうか? 
デートで雑誌のマニュアルを参考にしてきたように、子供を育てるにも雑誌のマニュアルが必要なのだろうか?

なんだか薄気味悪いなぁと思う。

大体、雑誌なんて、編集者と広告主の合意の下に作られているわけで、そんなちっぽけな資本主義がもたらす情報は、上っ面でしかないもんね。

まー、そんな安っぽい記事が子育てのよりどころとなり、親の心の平安が保てるなら、それはそれでいいいけどさ。

フランスには、SOS Medecin(SOSドクター)という往診制度がある。
具合が悪くて自ら病院にいけないとき、センターに電話をかけると、30分~1時間後に一般医が診に来てくれる。
365日、24時間、利用できる制度だ。
費用は、保険でカバーできるのでほぼ無料。
マイケル・ムーアの映画で絶賛されていたので、日本での知名度もあがったのではないか?

私はフランスに暮らしていたとき、何度かこの制度を利用した。
真夜中、嘔吐下痢に苦しみ、トイレでゲロゲロしているときに来てくれたときは、ドクターが神様に思えたよ!
(このドクターは、注射をする際、消毒液を忘れていて、
「マダム、香水をお持ちですか?」
というので、イヴ・サンローランの「Paris」を出したら、それをシュッと私の腕にふりかけ、注射針を刺した。
「香水にはアルコールが入っているので、消毒効果があるんですよ」と言いつつ…。)

私たちの暮らしていたところは、クリニックの集まる市街地まで出るのに車が必要で、夫は免許を持っていないし、私が具合が悪いときには、実に助かったのだ。自分で車を運転してクリニックまで行けるんなら世話ないもんね。

この制度は、ある医師が、
「配管工は24時間、呼べばやってくるのに、医師にそれができないのはおかしい。配管より、人間の身体の方がずっと大切ではないか?」
と、考えて、作りあげたシステムだそうで、フランス人の知性と知恵と人道的な側面が遺憾なく発揮されていると思う。(そういえば、国境なき医師団も、フランス人医師たちが作り上げた組織だ)

医師不足で、医師会の力の強い日本では実現不可能だろう。
しかし、興味を持ち、やってみたいと思っている医師は少なからずいるのではないかと思う。友人の内科医Mは、もしも日本にこのシステムがあったら、ぜひともそこで働きたいと言っていたから。

国際結婚について、個人的なことを、あらためて考えてみると。

個人の力では太刀打ちできない、国家の力に運命が左右される可能性があることを忘れてはならないと思う。
今は平和な日仏関係だけれど、つい何十年か前(1951年のサンフランシスコ講和条約)まで戦争状態にあったわけだし、この先何十年か後に何かが起きても不思議ではない。

フランスは圧倒的な軍事力を持っている。2001年までは徴兵制がしかれ、18~22歳の男性には1~2年の兵役が義務付けられていた。成人男性の多くが武器を扱えるなんて、日本では考えられないこと。それだけ「戦争」が身近にある。

絶対平和主義者の夫は、兵役代替海外企業派遣に志願して在日仏企業にやってきたが(そこでうっかり私と結婚してしまった…人生最大の過ちね…)、それをできるのはある種の学校を卒業した特権的な人々だけだ。

私のふたりの娘は現在、二つの国籍を持っているけれど、二十歳になればどちらかを選ばなければならない。今の状況から考えれば、彼女たちは日本国籍を選ぶだろう。私もそれを願う。それは、私が日本人だからではなくて、好戦的な国の一員になって欲しくないという思いがあるから。

そしてもしも将来、日本とフランスが戦争状態になったら…
夫と私たち女の子3人はお別れだね…

先日、小学校の委員会で初めて会ったお母さんから、
「うちね、今年、お兄ちゃんが中学受験したの。塾代で、軽く200万以上使ったのよ。それなのに、志望校落ちちゃって。本人、今の学校に行きたがらなくて。どうしたらいいのかしら?」
と、相談を持ちかけられた。

私に中学3年の子供がいることを知って、そうおっしゃられたのだろうが、初めて会った人に、いきなり塾に払った金額まで言うなんて、ちょっと常識を外れていると思った。
私が答えに窮していると、
「だからね、下の子は、4年の春休みから○谷○塚(大手の進学塾)へ行かせることにしたの。今回は300万は覚悟してるわ」
と、たたみかけるように、おっしゃる…

塾だけでそんなにお金をかけて、その後中学から大学まで私学に行かせたら、ものすごい出費だと思うんだけど、きっと、そこのうちは裕福なのだろう。でも、裕福だったら、いちいち塾の金額なんかを初対面の人に愚痴るなよと、言いたくなる。

しかし、彼女は、ある意味、犠牲者なのだ。
学歴社会と、受験産業の犠牲者。
塾に行ったら、あれこれオプション(休み中の特別講習とか、志望校別講習とか)をすすめられ、それを受けなきゃ合格しないような、ある種、たちの悪い宗教団体のような手口で洗脳されて、お金を巻き上げられていく。
冷静に判断できる人なら、上手に塾を利用して、切り抜けていくのだろうけれど、狂信者にになると、いい鴨になってしまう。

確かに現代は、教育格差で、親の経済力が子供の最終学歴を大きく左右する。
例えば、東大の合格者は、私立の中高一貫校が圧倒的に多い。
その中高一貫校に入るためには、小学4年から塾での学習が必要になる。
つまり、小学4年生の段階で、ある程度の将来が決まってしまうのである。

だけど、お金をかけりゃあいいってもんでもない。いくらお金をつぎ込んで勉強させたって、地頭(と運)の悪い子は、だめなのよ。
でも、いったん私学を目指して投資を始めると、意地でも地元の公立には行かせたくなくなり、滑り止めをたくさん受けさせ、志望校に落ちた子供は、不本意な私立学校へ行くこととなる。

おまけにだ。
受験をしないで、気楽に地元の公立に行った子が、高校で都立の進学指導重点校に入ったなどという話を聞くと、こういう親は、心が穏やかでなくなる。
「ウチはすごくお金かけてるのに!」
という思いが募るし、また、
小学校卒業時にはかろうじてあった、
「ウチは地元には行かないざんす」的な優越感がことごとく踏みにじられるから。

母親をここまで追い詰めるお受験って、ホントにコワイなぁと思う。
子供にとっても、迷惑千万だし。

花びらの絨毯
桜が風に散って、花びらの絨毯があちこちに敷かれている。

雪みたいに降る花びらを仰ぎながら、私と次女は、かつて農学校だった公園を通ってフランス語教室へ行く。
様々な種類の桜が咲き乱れ落ちる公園は、幽玄と言ってもよい趣。

なので、私がそう言うと、次女はちょっぴり不満足そう。
「でも、緑道(次女の学区)の桜の方がきれいだもん。じゅうたんももっとフカフカだよ。緑道の桜の方が、早くから咲き始めて、散るのは遅くて、ここより長く楽しめるもん!」
と、むくれる。
つまり、彼女は自分のテリトリーの桜の方が素晴らしいと思っているのだ。
農学校跡地公園は、隣の学区のテリトリーだからね。

お前は猫かと突っ込みたいところだが、実際、人というのはこうやって、自分の身近なものがより優れていて欲しいと願い、また、そう思い込み、やがてそれが長じて、ナショナリストになるのではないかなぁと思ったりして。

ちなみに私、WBCでは、キューバが敗退した途端、試合への興味を失った(カストロ議長のファンなので!)。日本対韓国戦? 何それ? だからどーした? って感じ。
だから、両陛下ご結婚50年会見で皇后様が、
「WBCで活躍した日本の選手たちは、よろいも着ず、切腹したり、「ござる」とか言ってはおられなかったけれど、どの選手もやはりどこかサムライ的で美しい強さを持って戦っておりました。」
と語られたのに、私は違和感を覚えざるを得なかった。
サムライって…。この人たちが口にしちゃいけない言葉じゃないかと…。

閑話休題。
桜の木から花の姿がすっかり消える頃、農学校跡地公園の八重桜の長い並木には、ぼっちゃりした花が、ぼこぼこと咲き狂う。私はこの派手な八重桜の饗宴が大好きなのよ。
次女のテリトリーに八重桜はない。
残念だね~。

古い車が好き
なんとなく昨日の続き。

私は、日本とフランスと両方で運転免許をもっている。
が、現実に運転したことがあるのは、フランスのみ。
交通ルールも、フランスのルールしか知らない。

フランスの人たちにとって車は単なる移動手段で、
日本人のようにステータスの象徴をそこには求めていない。
まあ、金持ちは、乗り心地がいい車に、それなりに乗っているだろうけど。

そして、押し並べて車が汚い!
だって単なる移動手段だもんね。
休みのたびに車を磨き上げる人なんて、見たことないわ。
タクシーはベンツが多いが、汚すぎて、ベンツのオーラが全くない(笑)。

それから、あちらでは皆さん、バンパーは、ぶつけるためにあると思っている。
縦列駐車していて、いざ出ようとするとき、前後のスペースがなくて、出られなかったりするでしょ?(まあ、日本ではないかもしれないが、フランスでは往々にしてある)。
そうゆうときは、前の車に軽くぶつけて押し出して、後ろの車にも軽くぶつけて押し出して、スペースを作って発進するのが常識だもん。

そんなもんだから、みんなしょっちゅう車を買い換えたりしない。
バカンス時期になると、すんごい古い車がキャンピングトレーラーを引っ張って、平気で高速道路も走っている。

今、私は車を所有していないので、渡仏するたびにレンタカー屋で車を借りる。すると最新式の車ばっかりあてがわれて、実につまらない。

だって、やっぱり古い車が好きなんだもん。
ぼろっちくて汚いルノー4(キャトル・エルとフランスでは呼ばれている)が、ギギッと荒っぽく止まって、ばたんと開いた運転席のドアから、可愛い小花模様のワンピースを着た若い女の子が出てきたりすると、すごく嬉しくなる。

笑った発言、今朝の新聞から
パンダ不在のため、入園者数が60年ぶりに300万人を下回った上野動物園。
パンダの賃借料は2頭で年1億円だそうで、そんな金を出す気のない石原さんはこう言った。

「世界も狭くなったんだから、いるところに行って見てきたら」

つくづく、楽天家のぼんぼんだなぁと。
「いるところへ行ける」手段をもたない人のことを考えない無神経さが、私はイヤ。
そんな石原さんを選んだ都民は、彼を憎めないキャラと設定している節があって、それもどうかと思う。
いずれにしてもー!あたしは、東京オリンピックの開催には大反対だからね!!!



もひとつは、私の愛する落合監督。開幕勝利!ソロホームラン4本!
しかし、彼はクールですから!

「こんなもんでしょ。普通に考えれば開幕は浅尾。4本塁打はめったにお目にかかれないね。力は持ってるけどね」

しびれちゃうわーん。今年も、あなた様に、ついてゆきます♪

日本の保育園事情が悪いのは、どなたもどなたも(政治家も官僚も)ご存知のはずなのに。

待機児が増えても、「不況で働くお母さんが増えたからしょうがない」と説明付け、切迫感をもって取り組んでいる様子が見えてこない。


私が次女を生んだとき。
ダメだとわかっていたけれど、区役所に一応申し込んで、やっぱりダメだった。
私は仕事をしているけれど、フルタイムの勤め人ではないので、優先順位が低いのだった。
会社を経営している知り合いに、自分の会社の社員として書類を作ってあげると言われたが、それは断った。
だって、生まれてすぐの子供の預け先に関して不正をしたら、その後の子供の人生によくないことが起きそうな気がしたから。

だから無認可の託児所を利用して乗り切り、3歳になった翌月から、預かり保育のある幼稚園に入園させた。

これは、同じ年頃の長女を育てたフランスでは考えられないこと。
保育園や、保育ママや、ベビーシッターなど、様々な選択肢があり、公的援助がある。
小さな子供が2人いる友人は、ベビーシッターに家に来てもらって、ついでに家事までしてもらっていた。

出産後も働き続ける女性が圧倒的に多いが、すぐに復職したくないお母さんのためには、3年の育児休業制度が保障されている。
夫の弟の奥さんのお母さんは高校のラテン語の先生だが、3年ごとに4人子供を生んだので、なんと12年も続けて育児休暇をとって、その後復職したのである!

そして、働いていないお母さんの子供のための託児所というのもあって、私たちが住んでいた街では、週に3回まで利用することができて、1時間100円くらいだった。
これは、素晴らしいシステムだと思った。だって働いていないお母さんにだって用事はあるし、いくら我が子でも四六時中くっついていたら、息が詰まっちゃうもの。

そして、3歳で幼稚園に入ると、午後にお昼寝をさせてくれて、降園時間は5時。延長すれば6時。

フランスのお母さんは恵まれているという印象を受けるが、フランス人母さんたちにしてみれば、「そんなの、あたりまえじゃない?」って感じで、更に優遇されるための権利を獲得しようとさえしている。

私たち日本人女性は、声の上げかたが足りないのだろうか?
それとも、はなから声なんて上げていないのだろうか?

フランス人母さんたちと話していて、
「えー!? ありえない! 日本みたいなハイテクな国が、何でそんな野蛮な!!!!」
と、驚かれることがある。

それは、日本のお母さんは、痛みに耐えて赤ちゃんを産んでいること。

フランスでは経腟分娩の90%が硬膜外無痛分娩なのである。

「なんでー????」

理由その1 精神論
「お産の痛みに耐えてこそ母親になれる」という、痛みを美徳とする日本的な考え方。
「痛みを我慢して出産しなければ子供への愛情は育たない」という、偏った妊産婦教育。

理由その2 医療制度の崩壊
麻酔科医が居ない。他の手術のための麻酔科医ですら足りないのだから、お産のための麻酔科医など確保できるわけがない。
そして何より、産科医不足で、生むところの確保ですら難しいのだから、生ませてもらえるだけでありがたいと思わなくっちゃいけない。とても無痛分娩なんて言い出せませんわよ、奥様。


ちなみに、次女のかかっている某医療センターでは、年間300例以上の硬膜外無痛分娩を行っているそうだが、ハイリスク妊婦さんが優先なので、ローリスク妊婦さんの受け入れ枠が非常に狭く、初診の予約をゲットするのは、大物アーチストのチケットをゲットするより難しいらしい。
なんだかとっても、妙な話ね? 
(でも、私、今ならハイリスク妊婦になれるかも? 高齢出産とゆうことで?)

いずれにしても。
先進国といいながら、テクノロジーを売り物にしていながら、この国のお産事情は全くお粗末ですなあ。


昨日お弁当箱を買ったわけだが。
それは、今週の土曜に参加するワークショップに持って行くお弁当のためで。

今のところ、長女も次女も、学校では基本的に給食を食べている。

しかし、長女が来年、高等部へ上がると給食がなくなるので、お弁当を持って行かなければならない。
誰が作るって?
もしかして、あたし?
だとしたら、朝7時に家を出る長女にお弁当を持たせるために、私は6時に起きなきゃならない!

現在、長女に関しては、完全放置の状態。彼女は一人で起きて、朝食を食べて、私がよろよろと起きる出す頃に、
「行って来まーす!」
と、すがすがしく出かける。

ちょびっとは後ろめたい私が、
「ごめんね、朝起きてあげなくて…」
と、謝ったら、
「いーの、いーの。私は、朝、一人で、誰にも邪魔されないで、朝ごはんを食べる時間が好きだから! 熱い紅茶を飲んで、音楽を聴いて… 。一日のうちで、一番好きかも!」
と、おっしゃるので、ほっと(薄い)胸を撫で下ろして、正々堂々と放置。

しかし、最近は、来年からのお弁当問題が浮上して…。
私は、お弁当作るのも好きじゃないが、それよりも何よりも、早起きが嫌なのー!
「お母さん、早起きしてお弁当作ると、一回につき、3日寿命が縮まりそう…」
と、弱音を吐いたら、長女が、
「じゃあ、あたしが作る」
と、おっしゃるではないか。
「えっ、ほんとに?」
というわけで、先週、テスト明けの午前授業・よって給食なし・でも午後に部活有り・という2日間、長女は試しに自分でお弁当を作った。
私がよろよろと7時に起きて台所に入ると、
「見て見て~おいしそうでしょ?」
と、なんだか彩り鮮やかなおかずを見せてくれた。え、えらい。

だけどだけど。
長女の好意に甘えてはいけないという、母心だって当然ある。
高等部へ上がったら、大学受験を目指して、勉強はハードになるだろう。
これで希望している大学に落ちたら、
「あたしが弁当作らなかったせい?」
と、私、後悔しちゃいそーじゃない?
だから、やっぱり、私が作るべきなのよね?

しかしだよ?
日本の、お母さんがお弁当を作って子供に持たせる習慣は、どうやって生まれたんだろう?

フランスで暮らしていた頃に長女が通っていた、幼稚園から高校まである大きな学校には立派な食堂があって、幼稚園児から高校生まで、前菜+メイン+デザートという豪華な昼食を毎日そこで食べていたんだけどなぁ(第一フランスには、弁当箱なんてもの存在しないもん)。



お母さんだって、忙しかったり、疲れていたり、具合が悪かったり、いろいろ事情もあるのにね?
家庭での食事なら、出前を取るとか、外に食べに行くとか、他に選択肢はあるけど、お弁当に関しては選択肢がなくて。
この義務感が、強迫観念となって私を苦しめるわけで。
いつでも弁当のこと考えてなきゃならない、束縛感に苛まれるわけで。


長女が小学校6年生のとき、私は一人の男子の夏休みの自由研究に大変感動した。
その子のお母さんは病気だった。
だから、学童へ通う1年生の妹のために、彼が毎朝お弁当を作って、その写真が彼の自由研究だったのだ。
なんて、素晴らしい男の子なんだろう!!
娘よ、嫁に行くなら、彼のところへ!!

だけど、まだ小学生の男の子をそこまで追い込む、この状況ってどうなの?

私が中東政治に興味がなかった頃、
仕事を通して、イスラエル人の友達が出来た。
彼女とは、某大使館のパーティーの片隅でエッチな話が出来るくらい、仲良くなった。

そこで、
彼女の国のこと、彼女の抱える問題を理解したくなった。
しかし、
知れば知るほどに、私はどうしたって、パレスチナ側につかざるを得なくなった。
私の理性と本能が、イスラエルを拒絶した。

そして、彼女と会うのが苦痛になった。
彼女の言い分に同意できない、しかし、そこで反論をすることもできない。
だって、彼女は絶対的にイスラエルが正しいと信じていて、他の意見に耳を貸さないばかりか、反イスラエル的な発言をする人々を憎んでいたから。

しかしそうこうするうち、彼女は別の国々に移り住み、私もフランスへ引っ越した。

正直、ほっとした。
私はパレスチナを支援すると表明できるようになった。
アラファト議長を支持すると言えるようになった。

なんだかんだと非難されることの多かったアラファト議長だったが、彼の死後は私の予想していた通りに、事態が悪化した。この先、パレスチナを引っ張っていくカリスマ性のある政治的リーダーは現れないだろう。

そしてイスラエルは、歯止めのきかない武力でパレスチナ人を迫害し続けることによって、アラブ世界のみならず、もっと広い範囲に属する人々の反感を買うだろう。アメリカのイスラエルロビーに対する嫌悪感も、増大してゆくだろう。

しかし、イスラエルもイスラエルロビーも、そんなことでへこたれはしないだろう。
彼らは、征服できるものの種類と範囲を、着実に広げていくだろう。

先日、友人Mが酒を飲みながら、ふと、漏らした。
「ある意味、ヒトラーって、間違ってなかったんじゃないの? ユダヤ人を野放しにしちゃいけないっていう彼の勘は、当たってたもん」
私は、胸を突かれる思いがした。
イスラエルの友人の、私の目には異常とも映る民族主義と、時として見せる、尋常ではない利己主義的な一面を思い出したから。それが、先天的なものなのか、後天的なものなのかはわからないけど。

新聞に掲載されていた、吉増剛造との往復書簡を読んだ辺りで、私はこの人を胡散臭いヤツだと、思い始めた(相手の詩人だって、ロクでもないんだけどね。だから、気が合ったんだね)。

彼がクオリアと言う言葉を発するたび、無防備にその言葉を受け止める人々の、五感および第六感が鈍化されていくような気がしてならなかった。

そして。
ネットで、高橋悠治との公開トーク『他者の痛みを感じられるか』を視聴して、私の勘は間違っていないと、確信した。
対談では、そんなこと先刻ご承知の高橋氏にボコボコにやられて、茂木はしどろもどろ、弱りっぱなし。あほさ丸出しで、聴衆は嘲笑。

茂木さん、もーあちこち出るのやめた方がいいと思うよ。そしないと、今までかろうじて寛容だった芸術家たちから、もっともっと、ひどい目に遭うよ。
私は、前世、パレスチナ人だったんじゃないかと思うくらい、パレスチナに興味があって、アラファト議長は、私のヒーローだった。

アラファト議長は金権主義だと非難があったようだが、彼自身が富を求めていたのではないことは、詳しく調べれば、一目瞭然だった。衣食住、全てにおいて、質素だった。第一、軍服しか着ていなかったし、食事だって、イスラエルに何ヶ月も軟禁状態に置かれて兵糧攻めに遭った際に、「普段からろくなもの食べてないからね」と、屁でもなかったし、自宅では、何十人もの孤児を引き取って育てていた。

大抵の国の元首は、交代可能だが、パレスチナにとって、アラファト議長に代わる人物は、現れないだろうと思う。晩年、「諸悪の根源はアラファト議長、彼さえ死ねば、全てうまくいく」と、イスラエルはもちろん、アメリカおよびアメリカよりの国で言われていたが、それが全く間違った憶測だったことは、その後に起こる果てしない悲劇の連鎖を見れば、一目瞭然だろう。(誰も、その過ちを認めないけれど)。

チェ・ゲバラのTシャツみたいに、アラファト議長のTシャツも流行ればいいのに!と、思う。世界中の人に、アラファト議長のことを覚えていて欲しい。

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