私には、行きつけのお地蔵さまがある。
江戸時代、隣村で疫病が発生した際に、地元民がこのお地蔵さまに祈願したところ、疫病に罹らなかったという、由緒ある、また、ご利益のあるお地蔵さまなのだ。
通りかかるとき、必ずお参りする。今日もお参りしてきた。
家族に体調の悪い人がいるときは、とくに念入りにお願いをしに行く。
そしてそこでは。
先客の方がいらっしゃることが、しばしばある。
少し離れたところで順番を待っている私に気がつくと、お先にどうぞと、促がされる。私がお参りした後で、心ゆくまでお祈りしたいのだ。
それは、多くの場合、年配の男の方で、心の中にずっしりとした重いものを抱えている様子がうかがえる。
長女が大怪我をしたり、次女が大病をしたりと、いろいろあった我が家だが、今、それなりに機嫌よく暮らしてゆけるのは、このお地蔵さまのおかげだと、私は思っている。
夫はカトリック信者だが、宗教を持たない私には、このお地蔵さまの存在が気持ちの支えになる。
江戸時代、隣村で疫病が発生した際に、地元民がこのお地蔵さまに祈願したところ、疫病に罹らなかったという、由緒ある、また、ご利益のあるお地蔵さまなのだ。
通りかかるとき、必ずお参りする。今日もお参りしてきた。
家族に体調の悪い人がいるときは、とくに念入りにお願いをしに行く。
そしてそこでは。
先客の方がいらっしゃることが、しばしばある。
少し離れたところで順番を待っている私に気がつくと、お先にどうぞと、促がされる。私がお参りした後で、心ゆくまでお祈りしたいのだ。
それは、多くの場合、年配の男の方で、心の中にずっしりとした重いものを抱えている様子がうかがえる。
長女が大怪我をしたり、次女が大病をしたりと、いろいろあった我が家だが、今、それなりに機嫌よく暮らしてゆけるのは、このお地蔵さまのおかげだと、私は思っている。
夫はカトリック信者だが、宗教を持たない私には、このお地蔵さまの存在が気持ちの支えになる。
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