小高へ 父 島尾敏雄への旅
2008年11月14日 読書 コメント (4)
島尾ミホの『海辺の生と死』は、女性文学の傑作だと思っている。
彼女の書くものは、常軌を逸するまでに美しく、純粋で、優しさと愛に溢れている。
だから。
島尾敏雄の『死の棘』では、「精神病の奥さん」となり、島尾伸三の著書では、「頭のおかしいお母さん」ということになる。
ようするに、そういうことなのだろう。
島尾伸三は、両親を憎んでいるが、(本人が嫌々書いている)その文章を読むと、まさしく敏雄とミホの子だ。
二人の文学のセンスが混じり合っている。
しかしながら、幸いなることに、彼の作品には、親より優れている部分が多々ある。
自らの狂気を自覚しているところ、絶望の先に光が感じられるところ、ユーモアがあるところ、写真が非常に美しいところ(写真家だから、当たり前っちゃあ、当たり前だけど)など。
それにしても!!
私がこの本を手に入れるのにどんなに苦労したか。
10月12日の朝日新聞の「著者に会いたい」というコラムで、大々的に紹介されていたので、渋谷の紀伊国屋へ行って検索すると、「在庫なし」。次の週も、そのまた次の週も「在庫なし」。新宿の紀伊国屋(南口のビル丸ごと本屋)に行って検索したら、やっと「在庫あり」。しかし、印刷した紙を持って売り場を探すが見つからず。店員に聞くと、「売り切れました。注文も予約も出来ません」だと!!
新聞で紹介された本が、巨大書店で手に入らないって、どーゆーこと?
新聞の書評欄を見るたびに、日本人ってインテリだなあと思うんだけど、本屋に行って平積みされている本を見ると、日本人って、レベルが低いなあと思う。このギャップは、いったい何なんだ?
結局、この本は、ネット書店で手に入れましたとさ。
彼女の書くものは、常軌を逸するまでに美しく、純粋で、優しさと愛に溢れている。
だから。
島尾敏雄の『死の棘』では、「精神病の奥さん」となり、島尾伸三の著書では、「頭のおかしいお母さん」ということになる。
ようするに、そういうことなのだろう。
島尾伸三は、両親を憎んでいるが、(本人が嫌々書いている)その文章を読むと、まさしく敏雄とミホの子だ。
二人の文学のセンスが混じり合っている。
しかしながら、幸いなることに、彼の作品には、親より優れている部分が多々ある。
自らの狂気を自覚しているところ、絶望の先に光が感じられるところ、ユーモアがあるところ、写真が非常に美しいところ(写真家だから、当たり前っちゃあ、当たり前だけど)など。
それにしても!!
私がこの本を手に入れるのにどんなに苦労したか。
10月12日の朝日新聞の「著者に会いたい」というコラムで、大々的に紹介されていたので、渋谷の紀伊国屋へ行って検索すると、「在庫なし」。次の週も、そのまた次の週も「在庫なし」。新宿の紀伊国屋(南口のビル丸ごと本屋)に行って検索したら、やっと「在庫あり」。しかし、印刷した紙を持って売り場を探すが見つからず。店員に聞くと、「売り切れました。注文も予約も出来ません」だと!!
新聞で紹介された本が、巨大書店で手に入らないって、どーゆーこと?
新聞の書評欄を見るたびに、日本人ってインテリだなあと思うんだけど、本屋に行って平積みされている本を見ると、日本人って、レベルが低いなあと思う。このギャップは、いったい何なんだ?
結局、この本は、ネット書店で手に入れましたとさ。
コメント
おはようございます^^
>常軌を逸するまでに美しく、純粋・・
私にとっても 「綴る」ということは、
生きてゆくための一つの手段なのですが、
「常軌を逸するまでに美しく、純粋」そんなコトノハを綴ること・・
一生できないなぁ、と感じる 今日この頃です。
本、手に入ってよかったですね^^
島尾ミホは、人生の長い期間、精神の方も常軌を逸した状態でした。
それゆえの、美しさ、純粋さが、作品の中で光を放っています。
苦しみの代償として天から授かった、一種の資質なのかもしれません…
こっそりと・・カキコ。
たとえ苦しみの代償でもいいから・・と願った不遜な時期がありました。
でも 今は違います。
失うことの怖さも知っているし、
守るべき愛しい子供たちもいるので・・^^
そんなしおんさんを、こっそり、応援しています!