病室に入ったら、ベッドに座って待っていた。
寝たきりだったおとといよりも、上半身を起こしている状態で、片目が完全にふさがってるのを見たら、胸を突かれるような不自然さを覚えた。
けれども、全体的な身体の状態は良くなっていて、食事も少しずつ取れるようになったし、リハビリも始めたとのこと。
大量のプレドニンのおかげか、お地蔵様のおかげか。
造影剤を使った脳のMRIの結果は、異常がなかった。
来週の土曜が、リウマチの主治医の診察日なので、電話して事情を話して欲しいと頼まれた。
長女もいたせいか、母の気持ちは高揚して、沢山おしゃべりをした。
長女に、ピアノは、少しずつでも続けるようにとアドバイスした。
母は若いとき、大阪の大きな病院で看護婦をしていた。その病院にはピアノのある部屋があり、ピアノに憧れていた母は時間があるとき、そのピアノで独学の練習をしていた。
すると、そのピアノの部屋の上の階に入院していた患者さんに、ある日、お礼を言われたのだそうだ。母は、初心者のつたない音色が患者さんに聞こえてしまっていたことを大いに詫びると、患者さんは、そのピアノの音に癒されたと言われたそうだ。
「だからね、○○さん(母は長女をさん付けで呼ぶ)、ピアニストみたいに上手じゃなくても、いつでもピアノを弾ける手でいることが大切だと思うの。ピアノを弾くことで、人を慰めることが、できる場合が、もしかしたらあるかもしれない。でも、それよりも、○○さん自身が、生きていく中で辛いことや苦しいことがあったとき、そこにピアノがあれば、ピアノを弾くことで、自分の気持ちを救えることがきっとできるはずだから」と。
倒れる前日は元気で、2回も買出しに出かけ、漬物にする大きな大根を買ったのにと言っていた。母は漬物が上手なのだ。
で、私がそのレシピを聞いて、長女の持っていたノートに書きとめた。
月曜日に作って、火曜日に持って行こうと思う。
帰りは、長女に手をとって貰って、エレベーターホールまでそろそろ歩いて送ってくれた。
明日は、イチゴとヨーグルトを持って、夫が見舞いに行く。
(私は明日、友人たちとの約束があるので!)
夫とは母は私よりも相思相愛(?)なので、親密ないい時間が過ごせると思う。
帰りに下車した下北沢で、長女とあちこち見てまわった。
ついでに、彼女が8ヶ月になるまで住んでいたマンションも見に行った。
最近、おしゃれに目覚めて下北沢大好き中学生の長女は、
「そっかー、あたしは、下北沢生まれだったんだー」
と、急に誇らしげになった。
(ってゆうかあ、あなたが生まれたのは、信濃町の某大学病院なんですけどね)
それでもって、そのおしゃれさんに、念願のブーツを買って差し上げて、私たちは30分ほどトコトコ歩いて、家に帰った。
歩きながらしみじみと長女が言った。
「おばあちゃんって、本当に優しい人。神様みたい…。あんなふうになっても、人に対する思いやりにあふれていて…。それに、辛いとか、苦しいとか、悲しいとか、そうゆうことは、一言も言わなかったね」
本当にね。
エレベーターのドアが閉まるときの言葉が、
「ふたりとも、傘持ってきた?」なのには、さすがに笑ったよ。どこまで人のこと心配しているんだろうって(涙)。
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