脳死と臓器移植 我が家の意思表明 喧々諤々
2009年7月17日 家族・子育て コメント (6)私:自分の臓器提供は拒否。自分が他人の臓器を必要となる事態になっても、希望はしない。娘たちの場合も同じように考える。
が!
先日、次女をお風呂で洗いながら、その話になった。彼女は小学生新聞を購読しているので、結構事情に詳しい。
私が、
「たとえ、次女ちゃんが脳死になっても、次女ちゃんの心臓は、誰にもあげない」
と言ったら!
次女は、急に、空っぽのバスタブに入って、うずくまって泣き出した(今の季節、シャワーしか使わないので、バスタブにお湯は張っていない)。
「もうすぐ動かなくなる私の心臓で、誰かを助けてあげようって、お母さんは思わないの?」
ええええ? そうきたかあ。議論の余地は大いにあると思ったけど、早くお風呂から上がってもらいたかったので、
「次女ちゃんがそうして欲しいと思うんなら、そうするよ!やさしいね、次女ちゃんは!」
「お母さんがケチだってことが、わたし、悲しい」
と、泣きじゃくりながら出てきた。
そういう問題かなぁ?
で!
本日、夕食を食べながら、長女と口論。彼女は、自分の臓器を提供してもいいと表明。
しかし、私は同意しない。
「私は、自分の子供の、まだ動いている心臓を取り出して、他の子供にあげる気持ちになんかなれない」
「それって、完全に、臓器提供側からの視点だよね」
「逆に、もし長女ちゃんや次女ちゃんが移植を必要とする身体になっても、臓器提供は望まない」
「なんで?」
「だって、リストの最後に載せられて、脳死の子供が次々に現れるのを待つなんていう、非人道的な状況に耐えられないから」
「お母さんの言っていることの意味が、私にはわからない。それじゃ、完全に臓器移植という医療を否定していることになるじゃない?」
「まあ、そういうことだね」
「もうじきなくなる命があって、その命の、まだ動いている一部で、他の命が助けられるのは、悪いことなの?」
「悪いとは思わないけれど、私は賛同できないの。脳死になった後でも、実際、何年も成長し続ける子供もいるわけだし、子供の脳死は、命の死だと思えない」
「管だらけで無理やり生き延びさせられている子供は、可哀想だと思うよ!」
「その子が可哀想かどうかなんて、長女の決めることじゃないでしょ!」
長女の目から涙がびしょびしょ流れてきた。
「お母さんとは、分かり合えない!」
「あー、そうだね、お母さんも長女の言ってることに、ちっとも共感できない」
長女、泣きっぱなしで、夕食終了。
そしたら!次女が(この人は、私と長女が喧嘩をすると必ず私の味方になる)、
「わたし、やっぱり、私の心臓は、誰にもあげない。だって、お母さんが悲しむから」
ええ? ポリシーないなぁ。
ってゆうかだよ? 第一、二人とも、脳死なんていう状況に陥らないでおくれよお!!!
いずれにしても、長女は、来月、15歳。さっそくドナーカードをもらうつもりらしい。
しかし、もし、そんな事態になったら、彼女には悪いが、そんなものは闇に葬らせてもらいます。
最後にさっき帰ってきた夫。
「死んだ後の臓器? そんなの、誰にだってくれてやるよ。だって、死後の魂は、身体にないからね。天の神のもとへ行くから、別に肉体に未練はないよ。え? 脳死って、心臓は動いてるの? その動いてるままの心臓を取り出すの? そんなのいやだよ! だって、痛そうじゃない? え? 脳は死んでるから、痛いのわからないの? そんなのわからないだろう? 脳が死んでたって、痛みは感じるかもしれない。僕、痛がりだからね。そんな野蛮な行為は、拒否するよ。娘たちはどうするかって? 君に任せるよ。僕が病院嫌いなの、知ってるだろう?」
なんかさー、あなたが、一番、レベルが低いよ…
が!
先日、次女をお風呂で洗いながら、その話になった。彼女は小学生新聞を購読しているので、結構事情に詳しい。
私が、
「たとえ、次女ちゃんが脳死になっても、次女ちゃんの心臓は、誰にもあげない」
と言ったら!
次女は、急に、空っぽのバスタブに入って、うずくまって泣き出した(今の季節、シャワーしか使わないので、バスタブにお湯は張っていない)。
「もうすぐ動かなくなる私の心臓で、誰かを助けてあげようって、お母さんは思わないの?」
ええええ? そうきたかあ。議論の余地は大いにあると思ったけど、早くお風呂から上がってもらいたかったので、
「次女ちゃんがそうして欲しいと思うんなら、そうするよ!やさしいね、次女ちゃんは!」
「お母さんがケチだってことが、わたし、悲しい」
と、泣きじゃくりながら出てきた。
そういう問題かなぁ?
で!
本日、夕食を食べながら、長女と口論。彼女は、自分の臓器を提供してもいいと表明。
しかし、私は同意しない。
「私は、自分の子供の、まだ動いている心臓を取り出して、他の子供にあげる気持ちになんかなれない」
「それって、完全に、臓器提供側からの視点だよね」
「逆に、もし長女ちゃんや次女ちゃんが移植を必要とする身体になっても、臓器提供は望まない」
「なんで?」
「だって、リストの最後に載せられて、脳死の子供が次々に現れるのを待つなんていう、非人道的な状況に耐えられないから」
「お母さんの言っていることの意味が、私にはわからない。それじゃ、完全に臓器移植という医療を否定していることになるじゃない?」
「まあ、そういうことだね」
「もうじきなくなる命があって、その命の、まだ動いている一部で、他の命が助けられるのは、悪いことなの?」
「悪いとは思わないけれど、私は賛同できないの。脳死になった後でも、実際、何年も成長し続ける子供もいるわけだし、子供の脳死は、命の死だと思えない」
「管だらけで無理やり生き延びさせられている子供は、可哀想だと思うよ!」
「その子が可哀想かどうかなんて、長女の決めることじゃないでしょ!」
長女の目から涙がびしょびしょ流れてきた。
「お母さんとは、分かり合えない!」
「あー、そうだね、お母さんも長女の言ってることに、ちっとも共感できない」
長女、泣きっぱなしで、夕食終了。
そしたら!次女が(この人は、私と長女が喧嘩をすると必ず私の味方になる)、
「わたし、やっぱり、私の心臓は、誰にもあげない。だって、お母さんが悲しむから」
ええ? ポリシーないなぁ。
ってゆうかだよ? 第一、二人とも、脳死なんていう状況に陥らないでおくれよお!!!
いずれにしても、長女は、来月、15歳。さっそくドナーカードをもらうつもりらしい。
しかし、もし、そんな事態になったら、彼女には悪いが、そんなものは闇に葬らせてもらいます。
最後にさっき帰ってきた夫。
「死んだ後の臓器? そんなの、誰にだってくれてやるよ。だって、死後の魂は、身体にないからね。天の神のもとへ行くから、別に肉体に未練はないよ。え? 脳死って、心臓は動いてるの? その動いてるままの心臓を取り出すの? そんなのいやだよ! だって、痛そうじゃない? え? 脳は死んでるから、痛いのわからないの? そんなのわからないだろう? 脳が死んでたって、痛みは感じるかもしれない。僕、痛がりだからね。そんな野蛮な行為は、拒否するよ。娘たちはどうするかって? 君に任せるよ。僕が病院嫌いなの、知ってるだろう?」
なんかさー、あなたが、一番、レベルが低いよ…
コメント
臓器移植カードに同意者(身うち等肉親)のサインがいるんですよね?
カードでなくても何の紙でも自分の字で書いて自分の身のサインしたものを身に付けておけばいいのかな?
私は臓器移植提供者意思表示カードで全臓器の提供意思を表してます。妻は脳死ではない確実な死亡であっても、遺体をいじられるのには気が進まないようでしたが、家族署名には妻の名前があります。妻と感情の共有も出来なくなっても私に感情的に拘泥するより、臓器が誰かを生かせていることに思いを馳せてくれるほうが、私は嬉しいと思うから。
横レスですが、臓器提供者意思表示カードは自前で作って持っておくだけではなく、大元の機関に登録しないと本来的な機能を有しないようです。自前で作った場合遺言としては機能するでしょうけれど、それでは臓器の鮮度に関るような死を迎えた時に臓器が有効に使われ無いでしょう。
もし臓器移植をして、たとえば角膜がなかったら
あの世で不便なんじゃないか、とか
生まれ変わったときに支障があるんじゃないかと思う気持ちが
日本人の心の奥底にはあるんですよね。
だから日本では諸外国のようには臓器移植は広がりにくい・・・
こういうことを家族で話し合うのはとてもいいことだと思います。
長女ちゃまも次女ちゃまもしっかりと自分の考えをお持ちなのですね。
すばらしいです。
また次にこの話題で会話されることがあったら
お互いの考え方を理解しあえるといいですね^^
私は現在の状況では提供者される側にもする側にもなりたいとは思いません。
だからと言ってあの世があるとも思ってないし、宗教を持っているわけでもないのです。
物理的にひとつの個体が停止するぐらいにしか思ってないんだけれど
自分の死は自分でも決められないと思うからでしょうか?
知識不足ね、私。
臓器提供者意思表示カードは、携帯するだけで、どこにも登録手続きをする必要はありません((社)日本臓器移植ネットワークのホームページより)。
☆淵瀬春秋さま
『私に感情的に拘泥するより、臓器が誰かを生かせていることに思いを馳せてくれるほうが、私は嬉しいと思う』というお考えに、深く感じ入りました。
ちなみに臓器提供者意思表示カードは、法的には、カードに家族の署名がなくても有効です((社)日本臓器移植ネットワークのホームページより)。
☆ブログ脳外科医さま
確かに、この問題について話し合うのは、時期尚早だと思います。
けれども、今回の法改正で、マスコミ(小学生新聞を含めて)は大騒ぎしているし、中学校では道徳の時間にこの件に関するディベートが行われるし、家庭内の会話においても、避けようのない話題でした。
長女の臓器提供意思は、時流に乗った一時の感情だと思えるので、親として尊重することはできません。彼女が成人して、私の手元を離れたとき、その意思を尊重するでしょう。
夫は外国人なので、日本における昨今の「つまらないゴタゴタ」には、あまり興味がないのです(おまけに昨晩は酔っ払っていましたし!)。
☆夏里愛さま
確かに、死生観はありますよね。
スペインに臓器提供者が多いのは、それを促す制度と、コーディネーターの質と量のおかげだと報じられていますが、カトリックの死生観(死んだら魂は肉体を離れて神のもとへ行く。輪廻転生はない)も大きく関与しているのではないかと私は思います。
夫もカトリック教徒なので、死後の身体提供に抵抗はないのですが、「心臓が動いているうちに、痛いことをされるのは嫌」というのが本音のようです。
娘たちは、まだ、マスコミや、周りの大人の意見に左右される年頃なので、これからも折に触れてこの話し合いは続てゆきたいです。そして彼女たちが大人になったときに、お互いの考えを尊重できるようになっていればいいなと、思います。
☆la vie en roseさま
私も、la vie en roseさんと、同じ心境です。
もちろん、幾つもの試練を経験されたla vie en roseさんが至った、深い境地ではないのですが。
知識の量というよりも、その人の人生観・死生観の表れとなるのではないでしょうか。