パメラから手紙が届いた。
パメラは、次女がこの夏、仲良しになったお友達。
私が次女より1週間遅れてフランスへ着くと、
「お友達ができたよ!」
と、次女が紹介してくれた。すでにお互いの家を行き来する仲になっていた。
パメラのおばあ様の別荘が近くにあり(と言っても、入り江の海岸沿いを歩いて20分、ボートで直線に漕いでも20分の距離)、パメラのおばあ様と義母は、子供の頃からの友人だった。
今年は、パメラのお母さんのアンヌがお嬢さんのパメラを連れて母親の別荘に来たので、そこから二人の交友が始まったという経緯。
二人がとても仲良しで、しょっちゅうどちらかの家で遊んでいるから、私もアンヌと親しくなった。
日本人と接するのは初めてというアンヌは建築家で、日本に関する質問をぽんぽんと投げかけてきた。
「神道と仏教について教えてくれる? 神社の鳥居の垂直の柱とそれをつなぐ2本の水平な棒には、何か象徴的な意味があるの?」
私としては、自分の不勉強さを大いに恥じた次第で…
そうこうするうちに、プライベートな話もするようになって、その話は、日を追うごとに深刻化していくのだった。
彼女たちはベルサイユに住んでいて、パメラには4人のお兄さんがいる。今、息子さんたちはご主人と船の旅しているので不在とのこと。
「優雅で物腰の柔らかいあなたに、4人の男の子がいるなんて、信じられないわ!」
「うふふ、みんなそう言うの。でも、私が息子たちといるところを見たら、きっと驚くわよ。声は大きくなるし、しゃべり方も断定的になるし」
「ご主人と息子さんたちは、いつ帰ってくるの?」
「多分、来週くらいね」
アンヌのお母さんはずっと体調が悪く、ほとんどベッドを離れない生活をしていて、アンヌは心を痛めていた。
「母は気性が激しくて、ずっと気が合わなかったの。病気になってから、ますます偏屈になって、もうお手上げよ…。父が献身的に世話をしているのが救いだけれど…」
こういう話は、だまって、うん、うん、と聞くしかない。
アンヌのお父さんは確かに素晴らしくまめな人で、私たちがおしゃべりしていると、
「コーヒーのお代わりはいかがかな?」
なんて、気を使ってくれた。
さて、その「来週」になっても、息子たちは帰ってこなかった。
が、船で遊んでいる人たちにはよくあることだ。
ヨーロッパのどこの都市が好きかという話題になって、
「ポルトガルでは、訪れた街、全部が気に入った!」
と私が言うと、
「私はローマが好き!フランスなら、パメラを生んだ、カタローニュも悪くなかったわ!」
「パメラは、カタローニュで生まれたの?」
「そう。私、一人で、産みに行ったの」
少々理解に苦しんだが、男の子4人がにぎやかにしている自宅より、静かな環境で赤ちゃんを産みたかったのかもしれない。「静養地」という概念のあるフランスでは、ありえる話だと思った。
そのうち、次女はパメラの家でお泊りをするようになった。
私が何の気なしに、
「日本へ帰ったら写真を送るから、ベルサイユの住所を教えて!」
と言うと、アンヌは、すこし躊躇して、こう切り出した。
「私とパメラは、ベルサイユには戻らない…。カタローニュで、パメラと二人で暮らすつもり。私はあそこの土地柄が気に入っているから…」
「え? 息子さんたちと離れ離れになるってこと?」
「そうよ…。息子たちの教育のためには、ベルサイユに残すほうがいいもの。上の子は16歳で、下の子達の面倒を見られるし、大丈夫だと思うわ。」
!!!!
「寂しくないの?」
「寂しいけど…。それより、これから、新しい土地で、アパルトマンを探して、仕事を見つけて、パメラの通う小学校の手続きをしなくちゃならないから、そっちの不安の方が大きいわ」
「冒険ね?」
「ええ、冒険よ」
ご主人との間がうまくいっていないことは、明らかだった。もしかしたら、パメラの父親はご主人ではないのか? カタローニュに恋人がいるとか? けれど、それに関して、深く尋ねる気持ちもエネルギーも私にはなかった。もしかしたらアンヌは、聞いて欲しかったのかもしれないけれど…
私達が日本へ発つ日のお昼ごろ、アンヌとパメラはさよならを言いに来た。
「この夏、仲良くしてくれてありがとう!素晴らしい未来があなたを待っていることを祈ってる!」
お別れのキスをしても、アンヌはなかなか帰ろうとしなかった。なにか、話したいことがあるのか…? でも、スーツケースにあらゆる荷物を詰め込んで午後3時に、私達は空港に向かわなければならなかったのだ。
「ごめんね、荷造りがまだ終わっていないの。だから、ほんとに、ここでサヨナラしなくちゃならないのよ」
「ああ、そうよね、ごめんなさい」
去っていくアンヌの背中を、私は見つめた。
帰国してからもずっと、アンヌのことは頭から離れなかった。
子供たちと遊ぶときはタンクトップにショートパンツ姿だけど、遊び終わると、美しいドレープの緑のドレス(それは見たこともない、素敵な形のドレスだった)や、紺のきりっとしたワンピースに着替え、宝石を身に付ける、とてもエレガントな人。
知的好奇心にあふれ、知らないことは納得がいくまで調べる人。
柔らかい話し方で、周りの人を気持ちよくさせる人。
彼女なら、これからの新しい人生がうまく回るはずだと、信じたかった。
そうしたら、今日、パメラから次女への手紙が舞い込んだ!
中には2枚の絵葉書が入っていて、パメラから次女へ宛てた内容の手紙が、アンヌの手によって綴られていた。
カタローニュの、桃と葡萄の畑に挟まれた谷の小さな村で、アパルトマンを借りたこと。
パメラは村の小学校に入ったこと。そこで彼女は一番の上級生で、それより上の学年になったら、隣の少し大きな村の小学校へ行かなければならないこと。その隣村は1キロ離れていてるのだけれど、ふたつの村の作りはそっくりで、まるで、お母さんと娘みたいに仲良しな関係だということ。
こうのとりが飛んでいるのを見たこと。それは、冬になると寒くなるしるしだということ…
私は、アンヌが実際に踏み出した大きな一歩を確認して、心が震えた。
パメラは、次女がこの夏、仲良しになったお友達。
私が次女より1週間遅れてフランスへ着くと、
「お友達ができたよ!」
と、次女が紹介してくれた。すでにお互いの家を行き来する仲になっていた。
パメラのおばあ様の別荘が近くにあり(と言っても、入り江の海岸沿いを歩いて20分、ボートで直線に漕いでも20分の距離)、パメラのおばあ様と義母は、子供の頃からの友人だった。
今年は、パメラのお母さんのアンヌがお嬢さんのパメラを連れて母親の別荘に来たので、そこから二人の交友が始まったという経緯。
二人がとても仲良しで、しょっちゅうどちらかの家で遊んでいるから、私もアンヌと親しくなった。
日本人と接するのは初めてというアンヌは建築家で、日本に関する質問をぽんぽんと投げかけてきた。
「神道と仏教について教えてくれる? 神社の鳥居の垂直の柱とそれをつなぐ2本の水平な棒には、何か象徴的な意味があるの?」
私としては、自分の不勉強さを大いに恥じた次第で…
そうこうするうちに、プライベートな話もするようになって、その話は、日を追うごとに深刻化していくのだった。
彼女たちはベルサイユに住んでいて、パメラには4人のお兄さんがいる。今、息子さんたちはご主人と船の旅しているので不在とのこと。
「優雅で物腰の柔らかいあなたに、4人の男の子がいるなんて、信じられないわ!」
「うふふ、みんなそう言うの。でも、私が息子たちといるところを見たら、きっと驚くわよ。声は大きくなるし、しゃべり方も断定的になるし」
「ご主人と息子さんたちは、いつ帰ってくるの?」
「多分、来週くらいね」
アンヌのお母さんはずっと体調が悪く、ほとんどベッドを離れない生活をしていて、アンヌは心を痛めていた。
「母は気性が激しくて、ずっと気が合わなかったの。病気になってから、ますます偏屈になって、もうお手上げよ…。父が献身的に世話をしているのが救いだけれど…」
こういう話は、だまって、うん、うん、と聞くしかない。
アンヌのお父さんは確かに素晴らしくまめな人で、私たちがおしゃべりしていると、
「コーヒーのお代わりはいかがかな?」
なんて、気を使ってくれた。
さて、その「来週」になっても、息子たちは帰ってこなかった。
が、船で遊んでいる人たちにはよくあることだ。
ヨーロッパのどこの都市が好きかという話題になって、
「ポルトガルでは、訪れた街、全部が気に入った!」
と私が言うと、
「私はローマが好き!フランスなら、パメラを生んだ、カタローニュも悪くなかったわ!」
「パメラは、カタローニュで生まれたの?」
「そう。私、一人で、産みに行ったの」
少々理解に苦しんだが、男の子4人がにぎやかにしている自宅より、静かな環境で赤ちゃんを産みたかったのかもしれない。「静養地」という概念のあるフランスでは、ありえる話だと思った。
そのうち、次女はパメラの家でお泊りをするようになった。
私が何の気なしに、
「日本へ帰ったら写真を送るから、ベルサイユの住所を教えて!」
と言うと、アンヌは、すこし躊躇して、こう切り出した。
「私とパメラは、ベルサイユには戻らない…。カタローニュで、パメラと二人で暮らすつもり。私はあそこの土地柄が気に入っているから…」
「え? 息子さんたちと離れ離れになるってこと?」
「そうよ…。息子たちの教育のためには、ベルサイユに残すほうがいいもの。上の子は16歳で、下の子達の面倒を見られるし、大丈夫だと思うわ。」
!!!!
「寂しくないの?」
「寂しいけど…。それより、これから、新しい土地で、アパルトマンを探して、仕事を見つけて、パメラの通う小学校の手続きをしなくちゃならないから、そっちの不安の方が大きいわ」
「冒険ね?」
「ええ、冒険よ」
ご主人との間がうまくいっていないことは、明らかだった。もしかしたら、パメラの父親はご主人ではないのか? カタローニュに恋人がいるとか? けれど、それに関して、深く尋ねる気持ちもエネルギーも私にはなかった。もしかしたらアンヌは、聞いて欲しかったのかもしれないけれど…
私達が日本へ発つ日のお昼ごろ、アンヌとパメラはさよならを言いに来た。
「この夏、仲良くしてくれてありがとう!素晴らしい未来があなたを待っていることを祈ってる!」
お別れのキスをしても、アンヌはなかなか帰ろうとしなかった。なにか、話したいことがあるのか…? でも、スーツケースにあらゆる荷物を詰め込んで午後3時に、私達は空港に向かわなければならなかったのだ。
「ごめんね、荷造りがまだ終わっていないの。だから、ほんとに、ここでサヨナラしなくちゃならないのよ」
「ああ、そうよね、ごめんなさい」
去っていくアンヌの背中を、私は見つめた。
帰国してからもずっと、アンヌのことは頭から離れなかった。
子供たちと遊ぶときはタンクトップにショートパンツ姿だけど、遊び終わると、美しいドレープの緑のドレス(それは見たこともない、素敵な形のドレスだった)や、紺のきりっとしたワンピースに着替え、宝石を身に付ける、とてもエレガントな人。
知的好奇心にあふれ、知らないことは納得がいくまで調べる人。
柔らかい話し方で、周りの人を気持ちよくさせる人。
彼女なら、これからの新しい人生がうまく回るはずだと、信じたかった。
そうしたら、今日、パメラから次女への手紙が舞い込んだ!
中には2枚の絵葉書が入っていて、パメラから次女へ宛てた内容の手紙が、アンヌの手によって綴られていた。
カタローニュの、桃と葡萄の畑に挟まれた谷の小さな村で、アパルトマンを借りたこと。
パメラは村の小学校に入ったこと。そこで彼女は一番の上級生で、それより上の学年になったら、隣の少し大きな村の小学校へ行かなければならないこと。その隣村は1キロ離れていてるのだけれど、ふたつの村の作りはそっくりで、まるで、お母さんと娘みたいに仲良しな関係だということ。
こうのとりが飛んでいるのを見たこと。それは、冬になると寒くなるしるしだということ…
私は、アンヌが実際に踏み出した大きな一歩を確認して、心が震えた。
コメント
でも、実際の話となると・・・。
私の想像力では追いつかない・・・。
フランスには、波乱万丈な人生を送る人が多いような気がします。
ですので、私達にとっては、物語のようなフランス映画も、
彼らにとっては、リアルで身近な話なのかもしれません。