まず、しょっぱなから、オマル・ハイヤームのルバイヤートの引用がある。それだけでもう、ラマチャンドランがわたし好みであることを確信した。
内容は、もちろん、すばらしく、おもしろい。第一に、膨大な勉強・研究によって、研ぎ澄まされた、科学者としての勘のよさに、圧倒される。そして、ラマチャンドランの人柄、人間を見つめるまなざしの温かさと、自分の知識の確かさと限界を誠実に語っている姿勢にすごく心を惹かれる。
わたしが思わず膝を打ったのは、第4章の「脳のなかのゾンビ」の、「いかに」経路。わたしはフランスにいるとき、車を運転する(なにしろ、滞在先は公共の交通機関などないところだし、夫は免許持ってないし)。日本でのわたしは車を持たず、自分で操れる日常の移動速度は、自転車どまりだ(時速10キロもないくらい?)。ところが、フランスでのわたしは、自由に車を乗り回し、高速道路では、常に追い越し車線で140キロくらい出している。トラックやタンクローリーをびゅんびゅん追い越しながら、つねづね、「おかしい。自分が自分じゃないみたいだ。アクセル踏んで、スピード出して、ハンドルも微妙に動かしてるあたしは、ぜったいに、あたしじゃない」と、思っていた。そこんところを、ラマチャンドランは、ちゃんと説明してくれた。つまり、「脳のなかのゾンビ」が解放されて、頭頂葉の「いかに」経路が、空間的な位置づけをしてくれているからなのだ。「ありがとう!あたしの脳のなかのゾンビ!」と、お礼を言いたくなったくらい。
それから、蚊に刺された手首を掻くと何故、わき腹に刺激を感じるのかということも、よーくわかった。
江原啓之は「側頭葉てんかん患者」なのでは?と、つい苦笑したわたしに、ラマチャンドランは、きっぱりと、「神や霊性に関する疑問への科学的な取り組みは始まったばかりなのだ」と、たしなめてくれた。ああ、浅はかなあたし!
耳に入れた冷水が右脳の回路を活性化させて麻痺に気づかせることと、REM睡眠時において同様に顕著な目の動きがあって、不快な禁断の記憶が表面化するという記述のあたりでは、「寝耳に水」という言葉が、頭から離れなかった。関係ないだろうけど、この語源とは。
そして、死の直前に「人生の一部始終が、走馬灯のように駆け巡る」と、よく言うけれど、それは、もしかしたら、扁桃体が刺激されてそのよう現象が起きるのでは?と、思ったりした。
あと、ほほえみという人間の特性が、生物の進化論に結ぶついたというくだりにヒトとしての幸福を感じ、クオリアの三法則に、意識のあることの素晴らしさを見た。
内容は、もちろん、すばらしく、おもしろい。第一に、膨大な勉強・研究によって、研ぎ澄まされた、科学者としての勘のよさに、圧倒される。そして、ラマチャンドランの人柄、人間を見つめるまなざしの温かさと、自分の知識の確かさと限界を誠実に語っている姿勢にすごく心を惹かれる。
わたしが思わず膝を打ったのは、第4章の「脳のなかのゾンビ」の、「いかに」経路。わたしはフランスにいるとき、車を運転する(なにしろ、滞在先は公共の交通機関などないところだし、夫は免許持ってないし)。日本でのわたしは車を持たず、自分で操れる日常の移動速度は、自転車どまりだ(時速10キロもないくらい?)。ところが、フランスでのわたしは、自由に車を乗り回し、高速道路では、常に追い越し車線で140キロくらい出している。トラックやタンクローリーをびゅんびゅん追い越しながら、つねづね、「おかしい。自分が自分じゃないみたいだ。アクセル踏んで、スピード出して、ハンドルも微妙に動かしてるあたしは、ぜったいに、あたしじゃない」と、思っていた。そこんところを、ラマチャンドランは、ちゃんと説明してくれた。つまり、「脳のなかのゾンビ」が解放されて、頭頂葉の「いかに」経路が、空間的な位置づけをしてくれているからなのだ。「ありがとう!あたしの脳のなかのゾンビ!」と、お礼を言いたくなったくらい。
それから、蚊に刺された手首を掻くと何故、わき腹に刺激を感じるのかということも、よーくわかった。
江原啓之は「側頭葉てんかん患者」なのでは?と、つい苦笑したわたしに、ラマチャンドランは、きっぱりと、「神や霊性に関する疑問への科学的な取り組みは始まったばかりなのだ」と、たしなめてくれた。ああ、浅はかなあたし!
耳に入れた冷水が右脳の回路を活性化させて麻痺に気づかせることと、REM睡眠時において同様に顕著な目の動きがあって、不快な禁断の記憶が表面化するという記述のあたりでは、「寝耳に水」という言葉が、頭から離れなかった。関係ないだろうけど、この語源とは。
そして、死の直前に「人生の一部始終が、走馬灯のように駆け巡る」と、よく言うけれど、それは、もしかしたら、扁桃体が刺激されてそのよう現象が起きるのでは?と、思ったりした。
あと、ほほえみという人間の特性が、生物の進化論に結ぶついたというくだりにヒトとしての幸福を感じ、クオリアの三法則に、意識のあることの素晴らしさを見た。
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