明日の午後に退院するので、今日が最後のお見舞い。
明日は弟が車で来て、連れて帰ってくれる。

私は面会開始時間に行くので、母は最近、エレベーターホールで待っていてくれる。
ドアが開くと、母がいるのは嬉しい。
でも、左目がふさがったままなのが悲しい。
母のこの姿に、いつか慣れる日が来るのだろうか。

しかし、元気を出さなければならないのだ。母も、私も。

「昨日、ケアマネージャーの人が来てくれたの。今までのお掃除に加えて、お買い物も頼むことにしたわ。一人じゃまだ怖くて買い物へ行けないから、一緒に行ってもらうの」
「暖かくなったら、杖をついて、まず近所を散歩してみるわ。それから、一人で行動できる範囲を広げていくつもり」
母は、当面、私が手伝いに行くことを望んでいない。

だから私は、しつこいくらいに注意を促す。
「とにかく寒いから、風邪ひかないでね。あと、転んで骨折しないように気をつけて! 暖かい病院の中で1ヶ月過ごしたから、外の寒さにびっくりするわよ。何かあったら、すぐに駆けつけるから、遠慮しないで言ってよ!」

そして、最後に私たちは、
「よく考えてみたら、ピーコさんも樹木希林さんも片目を失明しているけど、活躍している」
という結論に至ったのだった。

母の入院を知らされてからの日々、辛かったけれど、母と親密な時間を過ごせたことも事実だ。こんなに二人きりでいろいろなことを話せたのは、7年前に一緒にフランスを旅して以来だろう。

最後に、私の二人の娘たちが、のびのびと素直でいい子に育っていて嬉しいと言ってくれた。
そして、
「○○ちゃんには、ああいう、おおらかで幸せな子供時代を過ごさせてあげられなかったわね、ごめんなさい」
と、泣き声になった。私が子供の頃、父が横暴で暴力的だったため、私たちはおびえて暮らしていたのだ。
「お母さん、確かに私は、暗い子供時代を過ごしたけど、それは人生のマイナス部分で、今はプラスの部分を謳歌しているつもりだから、いいのよ。プラスマイナスゼロ。全然悪くない人生だよ」
「本当?本当にそう思ってる?」

帰るとき、エレベーターを待っているとき、私はもう一度、念を押した。
「私は子供時代のこと、今はもうちっとも恨んでいない。なんとも思っていないから」
エレベーターに乗って振り返ると、母は変形して不自由な手をあげて、振ってくれた。


母の見舞い 私は風邪…
昨日は風邪で熱を出してダウンしていたのだが、友人Mのくれた生姜湯を飲んで寝たら(PL飲むよりこれ飲んで寝ろとの処方)、今朝はすっきり起きられたので、母に会いに行った。
イチゴとヨーグルトとお気に入りのパン屋さんのアンパンとラスクを持って。

来週の水曜に退院が決まった。
「退院の日はね、自分で決めたの。入院してからちょうど1ヶ月。目は開かないけど、1ヶ月お世話になって、もういいかなって気持ちになれたから。それに、ここにいて何もしないと、本当に何もできない人になっちゃう気がして。家に帰って、できることを少しづつ、始めることにする」

用意してもらった杖がベッドに立て掛けてあった。
「階段を下りるときは、杖で位置を確認してから脚を下ろすようにって、リハビリで言われたんだけど、難しいのよ。杖と脚がこんがらがって、逆に危ないような気がするわ。今まで、手すりにしがみつくようにして階段の上り下りをしていたから、これからもそうすると思う」

「もうこんな身体になっちゃったら、オンワードのファミリーセールに行けないわねえ」
と嘆くので、
「私たちと一緒に行けばいいじゃない?連れて行ってあげるわよ」
と言ったら、
「そう?」
と、目をきらっとさせた。そのとき、ああ、なんかちょっと、いい感じになってきたなと思った。やっぱ、女の活力はおしゃれ、そしてバーゲンにあり!
(それにしてもつくづく、ファミセ好きの親子だ…)

そして、夫が休日に着ているブルゾンに着古した感があるので、新調してあげるようにと言われた。(ウチは、私が女の子3人分のお洋服を担当するから、夫は自分の衣服購入・管理をするということになっているのよね、だから夫、あたしに恥かかすなよ!と、一瞬呪う)。
明日はその夫が、「着古した」ブルゾンを着て、母に会いに行ってくれる。


私が咳き込み始めたら、
「早く帰って寝なさい!」
と、急き立てられた。

それにしても、花粉症と風邪のダブルパンチはきつい。
生姜湯はギョッとするような風味と口当たりだけど、効く~。

相変わらず左目はふさがったままだが、精神的に上向きになっているのを感じた。

「日曜日、次女ちゃんのマラソンだったでしょ? 朝起きたらお天気いいから、うれしくなっちゃって、次女ちゃんが頑張っているんだから、おばあちゃんも頑張ろうって気持ちになったのよ」

「落語のCD、面白いわ。おかしくって、一人でにやにやしちゃって、お部屋のほかの人たちにヘンだって思われてるかも」

来週退院することになりそうだ。
「神経内科の先生から、段差や階段の距離感がつかめなから、杖を持ったほうがいいって言われたの。リハビリの先生に相談したら、売店で買ってくれば、長さを合わせて調節してくれるって。ありがたいわ」
 気の早い母は、保険のための診断書をとりよせていた。私が必要事項を書いてナースステーションに預けておいた。

花粉症の薬のせいで頭がぼやっとすると言ったら(ホントに私の脳みそ、午前中は使い物にならない感じがするんだけど、そのうち慣れるのか? ジルテック?)、
「駅まで自転車なんでしょ?気をつけなさいよ!危ないから、もうしょっちゅう病院に来なくていいわよ!」
と、注意された…。うーん、そうゆう問題でもないんだけどな…。

でも。
心配してくれるうちは、心配してもらいましょう。

朝、S先生から電話があった。
「お母さん、ステロイド2回目終わって、様子はいかがですか?」
「顔がむくんでいるんですけれど…」
「それはステロイドの副作用ですね。すぐ治まりますよ」
「そして相変わらず、左目はふさがったままです」
「効果はすぐには現れないものです。時間が経つのを待ちましょう」

S先生の声は優しく、話し方も穏やかで、とても癒される。
状況は何も変わらないのに、S先生と話していると、「全てうまくいく」という気持ちになる。

午後に母の病院へ行った。
今日は時間があったので、たくさん話をした。
S先生から電話があったことを、母は喜び、感謝していた。

そして、これからのことを話し合った。
特に、母と一緒に住んでいる、軽いけれど障害のある私の弟について。
「今度の病気は、あの子のこれからのことを考えさせてくれる、いい機会になったと思うの。私のところに生まれてきた子だから、できる限りのことをしてきたけれど、これからは、私がいなくなった後のことを考えなければならない時期なのよ。それを、神様が教えてくれたのかもしれない…」

わたし達の家庭について。
「あなたは、優しくていい人と結婚したわね。でも、やっぱり、外国の人だから、一生、日本に縛り付けておくのは気の毒よ。将来、フランスでの居場所を確保するよう、計画を立ててね」


ところで。
今日、病室に入って、一番最初に母が話題にしたのは。
「隣のベッドの人から聞いたけど、宮沢りえちゃん、結婚するんだって? 相手は、どんなひと?」
だった。
今朝、朝刊を見ながら、私がふと、
「宮沢りえ、結婚するんだって。妊娠6ヶ月かあ」
と、言ったら、夫が、
「えええええ????ホントに???だ、だれと????」
と、こっちがびっくりするほど驚いていた。
日本中の老若男女外人を震撼させた、宮沢りえさんの結婚でしたなあ。

(その後で、私が、
「宮沢りえって、ハーフなのに、そう見えないね。日本茶のCMにでてるし」
と言ったら、次女が、
「えええ? 宮沢りえさんって、ハーフなの? いいなあ、日本人顔で。私も日本人の顔になりたい!大きくなったら、なるかなあ?」
と聞くので、
「な、なるんじゃない?」
と応えておいた…)

したけれど、左目はふさがったまま。
顔がむくんで大きくなったようだが、ステロイドの副作用か。

私が見舞いにいる間に、点滴が終了したので、看護婦さんを呼び、針を抜いてもらった。
「ありがとうございます。おかげさまで、痛くなく過ごせました」
と、母はお礼を言った。
2回も漏れて、刺し直してもらったにもかかわらず…

母はいつも看護婦さんに、礼儀正しく、ねぎらいの言葉をかける。
周囲に気を配る性格もあるが、自分が長年、看護婦をしてきて、その大変さがわかっているからだろう。

以前、長女が看護婦になりたいと言ったとき、大反対していた。
「看護婦はだめ!大変だもの!○○さんには、あんな大変な思いさせたくないわ」って。
「じゃー、なんならいいの?」って聞いたら、
「アナウンサーとかどう?」
って、目をキラキラさせてた。

その長女が昨日、ひとりで見舞いに来てくれたのをとても喜んでいた。
そして今日、私に忠告するのだった。
「あんなにキレイな女の子だもの、変な人に声をかけられないように、気をつけなくちゃならないわよ」って!
夫の母も同じことを言っていたっけ。
二人揃って、ババ馬鹿だわ~。
(だって、長女って、ぜんっぜんモテない女子なんだよ?)

が、今日から始まった。

病室に入ると、かすかな寝息を立てて母は眠っていた。
布団もかけず、仰向けで、無防備に眠る母を起こすのはためらわれたが、長く居られないので、そっと起こした。

果物やヨーグルトを冷蔵庫に入れて、ニールズヤード・レメディーズのリラックス効果のある携帯用フレグランスオイルを渡した。

長すぎるパジャマのズボンのすそ上げをしながら、おしゃべりをした。

私の夫の母に現在降りかかっている、彼女の所有する不動産やその他の問題について相談をしたら、一緒になって心を痛め、ゴールデンウィークに夫が一人でパリに行って、彼の母親の手助けをしてあげるのがよいのでは、とのアドバイスしてくれた。
自分が大変なときでも、人を思いやれる心があるのは、我が母ながら素晴らしい。
思えば母の母も(私の祖母)も、素晴らしい人だった。

(なのに、私は、ダメダメなひと。遺伝子がうまく伝わっていないのね)

私を可愛がって育ててくれた母に、これからは、後悔のないよう尽くしていきたい。


次女に毎晩、寝る前に読み聞かせていた「モモ」。
結構分厚くて、読み始めた当初は永遠に終わらないのでは?と、思ったけれど、次女がわくわくしながら聞いてくれるので、私も熱を込めて読んでいたら、案外あっさり終わってしまった。

次は、長女お勧めの「若草物語」(姉を大切にしろというメッセージが暗に込められている!)。矢川澄子訳で、日本語が美しいんだけれど、音読するには、ちと苦労する。

家族4人、近所の蕎麦屋さん(次女の同級生の親がやっている)でお昼を食べて、私と次女は母のいる病院へ。次女のために子供用パスモを買った。

母は、私たちのために売店でペットボトルのお茶を買って待っていた。

見晴らしのいい、明るい談話コーナーで、私たちは沢山おしゃべりした。
でも…。明るい日差しであらためて、片目がふさがり、手の指がひどく変形した母を見ると、胸がふさがる…。
本人は、2度目のストロイドパルスには、期待していないようだ。

どうすれば母にとって、そして家族全員にとって、幸せで居心地の良い暮らし方をできるのか、手探りで見つけていかなければならないと思う。

帰りに下北沢で、次女がカチューシャを欲しがったので、買ってやったら、とても感謝された。学校でとても流行っているのだそうで。うちの女の子たちは、何も買わずに下北沢を素通りできない!

夫は大好きな東急ハンズで午後を過ごしたらしい。

長女は神楽坂でピアノの稽古。
次回までの宿題が、
「フランスの大衆音楽について調べてくること。でも、お父さんやお祖母さんに聞いたら、反則だよ」
とのことで、じゃー、お母さんならイイのね?ってことで、夕食の間中、フランスのロックが如何に、そして何故ダサいかを、イヤというほど説明してやった!

ピアノの先生は、長女のおニューの洋服を褒めて、
「お母さんが着ても似合いそうだね」
って、さすが、ソーちゃん、あたしの趣味だって、気付いたね。

先ほど、S先生から電話があった。
母の入院している病院の神経内科の先生と電話で話し合われたとのこと。その内容を丁寧に説明してくださった。

・病名としては、「特発性の動眼神経麻痺」。原因がわからないので特発性と呼んでいる。
・ 原因がわからない理由 
  脳の中に異常はない。
  リウマチの現在の症状と関係がない。
  血液検査の結果、重症筋無力症ではない。
以上の判別診断(除外診断とも言う)から、「特発性の動眼神経麻痺」と思われる。
・来週の火曜から、2度目のステロイドパルス療法を行う。S先生もその方針には賛成で、もう一度やってみる価値はあると思われるとのこと。すぐに効果は現れなくても、数ヶ月経ってから効果があらわれる場合がある。
・ 母が一番心配しているのは、両目を失うことだが、この疾患は片側性のものなので、その心配はない。その点で悲観的にならないように。
・ ステロイド療法が終わったら退院しなければならないから、その心積もりを。
・ ステロイドを減薬していったら、再びリウマチの治療をしなければならないが、あの病院にもリウマチの先生がいるから、あちらでかかっても良いと思う、とのお言葉には、
「いいえ、母は、S先生を一番信頼しておりますので、これからもどうか、よろしくお願いします」
と、私は頭を下げた。(本当に。受話器を耳に当てたまま)。
そしたら、笑って、
「わかりました」
って。私のこと、見えた?

S先生、素晴らしすぎます。
だけど、どうして、母の主治医は何も教えてくれないのだ?どうして、他の病院の先生が、私にムンテラしているんだろう?

昨日の夕方、母がいつもリウマチでかかっている病院の理事長から電話があった。
「お母さん、入院されて、色々と困っていることがあるようですね。担当のS先生に相談されたいと連絡がありまして、その連絡先はお嬢さんにとのことで、今、電話をしている次第です」
「恐れ入ります!」
「S先生の携帯に電話したんだけど留守電になっていてね、たぶん授業中なんだと思いますけどね、メッセージを残しておいたから、あとで僕のところに電話があって、それからあなたのところへ、電話があると思います」
「はい!ありがとうございます!」

1時間後、再び理事長。
「今、S先生から電話があってね、あなたのところへ電話するからね」
「はい!」

そして数分後、S先生。
「あなたのお母さんのリウマチの主治医のSです」
「わざわざありがとうございます!」

S先生には20年以上診てもらっていて、母が一番頼りにしている先生だ。今までの経緯を話すと、
「僕、今からその病院へ行きます。お母さんに会って、できたらそこの先生にも会って、話を聞いてきます」
私は、ことの成り行きか信じられないくて、感謝の気持ちをどう表していいのか分からなかった。

それからしばらくして、母から電話があり、
「S先生が来てくれたの!」
と、嬉しそうな声だった。

そしてしばらくして再びS先生から電話。
「お母さん、思っていたよりは元気そうでした。一番恐れていた脳の疾患ではないですね。担当の先生には会えませんでしたので、明日、電話してみます。動眼神経麻痺ですが、原因は色々あります。多分、血管炎を疑って、ステロイド療法をしたのでしょう。このまま麻痺したままなのか、それとも顔面神経痛のように時がたって軽快するのか、様子を見たいのではないでしょうか。いずれにしても、神経内科の先生の領域ですからおまかせしましょう。明日、僕が電話して話をうかがい、お願いするという形をとりましょう」

なんて説得力があるのだろう!おまけに、自宅の電話番号まで教えてくれて、
「なにかあったら、電話ください。居ないときは、留守番電話にメッセージを残して置いてください」
とのこと。素晴らしすぎます。S先生。

そして、深夜、友人Nから携帯にメールが入った。
「お宅のポストに、落語のCDを入れといたわ。お母様に、ぜひ!」
って。
封筒の中に、文珍のCDのコピーが10枚入っていた!

心から感謝です。理事長先生、S先生、Nさん。

母の左目は相変わらずふさがったままだ。
それなのに。

「ステロイド治療がワンクール終わるのに、効果が無いから、先生はもうワンクールやるかどうか迷っているんだって。もしやらないことになったら、すぐに退院するようにって」
「えええ?」
「このままじゃ日常生活に差し支えるって言ったら、施設に入れば?って言われた…」

ショックで、胸と喉がつまった。
確かに、治療法がないのならいても仕方がないのはわかるけれど…

「お母さん、ウチに来て! もう家族全員、その心積もりはできているから」
「ううん、あなたたちの生活の邪魔をするつもりはないの。それに、やっぱり自分の家がいいの。勝手がわかっているし、慣れた環境だし。ヘルパーさんに来てもらう回数を増やして、できるだけ一人でやってみる…」

母は気丈に言っていたけれど、ショックは隠しきれていなかった。

他に治療法はないのか?
第一、主治医は、母に病名すら言っていない。予後に関しても全く話していない。母は、眼の病気だと思っている…

私の方が気が変になりそうだけど、そんなこと言っている場合じゃあない!


病室に入ったら、ベッドに座って待っていた。
寝たきりだったおとといよりも、上半身を起こしている状態で、片目が完全にふさがってるのを見たら、胸を突かれるような不自然さを覚えた。

けれども、全体的な身体の状態は良くなっていて、食事も少しずつ取れるようになったし、リハビリも始めたとのこと。
大量のプレドニンのおかげか、お地蔵様のおかげか。

造影剤を使った脳のMRIの結果は、異常がなかった。
来週の土曜が、リウマチの主治医の診察日なので、電話して事情を話して欲しいと頼まれた。

長女もいたせいか、母の気持ちは高揚して、沢山おしゃべりをした。

長女に、ピアノは、少しずつでも続けるようにとアドバイスした。
母は若いとき、大阪の大きな病院で看護婦をしていた。その病院にはピアノのある部屋があり、ピアノに憧れていた母は時間があるとき、そのピアノで独学の練習をしていた。
すると、そのピアノの部屋の上の階に入院していた患者さんに、ある日、お礼を言われたのだそうだ。母は、初心者のつたない音色が患者さんに聞こえてしまっていたことを大いに詫びると、患者さんは、そのピアノの音に癒されたと言われたそうだ。
「だからね、○○さん(母は長女をさん付けで呼ぶ)、ピアニストみたいに上手じゃなくても、いつでもピアノを弾ける手でいることが大切だと思うの。ピアノを弾くことで、人を慰めることが、できる場合が、もしかしたらあるかもしれない。でも、それよりも、○○さん自身が、生きていく中で辛いことや苦しいことがあったとき、そこにピアノがあれば、ピアノを弾くことで、自分の気持ちを救えることがきっとできるはずだから」と。

倒れる前日は元気で、2回も買出しに出かけ、漬物にする大きな大根を買ったのにと言っていた。母は漬物が上手なのだ。
で、私がそのレシピを聞いて、長女の持っていたノートに書きとめた。
月曜日に作って、火曜日に持って行こうと思う。

帰りは、長女に手をとって貰って、エレベーターホールまでそろそろ歩いて送ってくれた。

明日は、イチゴとヨーグルトを持って、夫が見舞いに行く。
(私は明日、友人たちとの約束があるので!)
夫とは母は私よりも相思相愛(?)なので、親密ないい時間が過ごせると思う。

帰りに下車した下北沢で、長女とあちこち見てまわった。
ついでに、彼女が8ヶ月になるまで住んでいたマンションも見に行った。
最近、おしゃれに目覚めて下北沢大好き中学生の長女は、
「そっかー、あたしは、下北沢生まれだったんだー」
と、急に誇らしげになった。
(ってゆうかあ、あなたが生まれたのは、信濃町の某大学病院なんですけどね)
それでもって、そのおしゃれさんに、念願のブーツを買って差し上げて、私たちは30分ほどトコトコ歩いて、家に帰った。

歩きながらしみじみと長女が言った。
「おばあちゃんって、本当に優しい人。神様みたい…。あんなふうになっても、人に対する思いやりにあふれていて…。それに、辛いとか、苦しいとか、悲しいとか、そうゆうことは、一言も言わなかったね」
本当にね。
エレベーターのドアが閉まるときの言葉が、
「ふたりとも、傘持ってきた?」なのには、さすがに笑ったよ。どこまで人のこと心配しているんだろうって(涙)。

母の入院

2009年1月29日
お昼ごろ、電話が鳴った
取ると、小さな母の声。
「○○ちゃん?(←母は未だに私をちゃん付けで呼ぶ)お母さんだけど。入院しているの」
「ええ?????」

聞くと、25日の朝、左まぶたが開かず、ひどいめまいと吐き気がして、ベッドから落ち、それでも2階の弟の部屋へ行き、そこで意味不明のことをしゃべったらしい。
びっくりした弟が救急車を呼んで、即効入院。
2日間をICUで過ごしたとのこと。
一番最初に脳を疑われてMRIを撮ったが、異常はなく、昨日、造影剤を入れたMRIを撮ったが、まだ結果はわからないとのこと。

「どうして? どうして、すぐに知らせてくれなかったの?」
(私、半泣き)
「だって、○○ちゃんの仕事の邪魔をしたくなかったから、締め切りが終わるまでは知らせるなって△△(弟)に言ったの。」
(私、号泣モード)
「病院どこ?すぐ行くから!」
「いいのよ、来なくて。だって、次女ちゃんがもうすぐ帰ってくるでしょ?」
それでも、病院を聞き出して。

病院のホームページを見ると、案の定、小学生以下の面会は不可。
長女の学校に電話して、授業が終わったら、部活も委員会も出ないで即効帰宅するよう伝言をお願いして、次女(←お留守番ダメダメ女)が帰宅すると同時に、訳を話した。
「お願い、お母さんをおばあちゃんのところへ行かせて。あと1時間で、お姉さん帰ってくるから!」

病室に入ると、母は目をつぶっていて、私は立ち尽くしたが、すぐに右の目を細く開けた。
「○○ちゃん?来てくれたの?」
「当たり前じゃない!!」
(半べそ)

ステロイドの大量投与が始まったとのこと。でも、母は重度のリュウマチで、普段からプレドニンを飲んでいるから、効き目は弱いかもしれないとか… おまけに、ベッドから落ちたときに鎖骨を骨折していて、そこが痛むとも。

ベッドの上の、変形しまくった母の手と、開かない左目を見ていたら、無性に涙がこみ上げてきた。そんな私を元気付けるように、母は、おしゃべりしてくれた。
「仲良しのお友達が最近まで同じ病院に入院していて、お見舞いに来てたのに今度は私が入院だなんてね」
とか、子供の様子をたずねてきたりとか。

土曜の午後、長女とまた来るからと言って、病室を後にした。

うちへ帰って調べてみるに、重症筋無力症ではないかと。

長年リウマチに苦しんで、更にこんな難病だなんて。

長女と次女が私の留守中に、お地蔵様にお参りに行った。
「そしたらね」と長女。
「ずーっと、重たい気持ちで泣いていたんだけど、お地蔵様にお祈りしたら、さぁーっと気持ちが晴れて、もう大丈夫って気持ちになったの。だから大丈夫だよ」
だって。ほんと?ほんとなの?

1 2

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索