キリクと魔女

2008年9月29日 映画
ムッシュLが、
「宿題だよ。来週までにこれを見ておいで」
と、フランスのDVDを次女に渡したのである。

だもので。ほとんど義務感で、「Kirikou et la Sorciere」と題するそのDVDを、デッキの中に押し込んだ。

そしたら!
面白いの!美しいの!
いわゆるアニメの作画ではなくて、ゴーギャンとか、フリーダ・カーロの絵画を連想させる作風。
緩いリズムにスピード感がほとばしる。
単純なストーリーだけれど、勧善懲悪でないハッピーエンドに、好感が持てる。
キリクのお母さんが、毅然として、素晴らしい女性。
ユッスー・ンドゥールの音楽も心地よくて。

見終わった後、ググッたら、日本でも5年前に公開されてたのね。

全然期待していなかったものが、良かったりすると、なんだか気分いい。

私はこの映画を好ましく思う。

登場人物のひとりひとりが愛しかった。
彼らの感情や行動にシンパシーを覚えた。
映し出される風景に漂う空気の匂いを嗅いだ気がした。

私の体質に合っている映画だったのだ。

それにしても。
私が今回借りた6枚のDVDのうち、3本の映画にオダギリジョーが出ていた。
日本の映画界は、彼を必要としているらしい。

フラガール

2008年9月13日 映画
長女との映画鑑賞第2弾

もう始まって間もないうちから、長女の顔は涙でぐっしょり。
「え?泣いてるの?なんで?(ここ、泣くとこ?)」
「うるさいなあ、あたし、涙腺ゆるいのっ!ほっといて!」

前半で涙を使い切ってしまった彼女は、クライマックスのお涙場面で、困っているのである。
「ああ、もう、涙、出てこない。泣きたいのに、泣けない…」だって。
変わった人間だね?我が子?

主人公の少女同様に、蒼井優さんも相当にフラダンスを練習されたのでしょうね。
でも、ワタシ的には、南海キャンディーズのしずちゃんが良かったわ。あと、岸部一徳。

舞妓Haaaan!!!

2008年9月10日 映画
もうじき長女の関西合宿があるんで、その予習ゆうことで(!)、一緒に見たのどす。

わて自身は、去年の夏の公開のとき映画館で見て、大爆笑したのどすえ!何しろクドカンさん脚本やさかい!
一緒に見に行ったクドカンファンのお友達(内科医さんや)が、
「笑うと免疫力が上がるんだよ。この映画で、あたしたちの免疫力、そうとうアップしたよ」
と断言(診断?)しはりましたが、確かに去年のわてが夏バテもせえへんかったは、この映画のおかげかもしれません。

今回、映画館で見たときよりも衝撃度は低こうかったけど(当たり前や、2度目やし、テレビの画面じゃいまいちやわ)、その分ディティールに目が行って、隅々まで堪能させてもろた。もー、隅々まで好きや、好きや!

クドカンさんは松尾スズキさんの部下やけど、わてはクドカンさんの方が好きや。

ところで、肝心の長女の感想はゆうと…
「おもしろかった!けどお、てゆうかあ、お母さんって、こうゆうのが好きなの!?」
と、なぜか、やや、軽蔑気味の眼差しなんですわ…
ふん、そなことゆうなら、あんさんなんかに、みせんやおまへんかった!

松尾スズキって…
普通の脚本も書けるのね…

わたしは、大人計画の芝居とか、「恋の門」しか知らなかったので、ちょっと意外な感じがした。

しかし考えてみれば、彼は、才能も良識もあるれっきとした大人なのだ。
お友達(リリー・フランキー)の原作を、出来るだけ多くの人に受け入れてもらうために、知恵も工夫も駆使するのは、当然だ。

でも、映画として面白かったかというと、うーん、どうかなあ。
名演技が詰め込まれている作品とう感じかな

空中庭園

2008年9月4日 映画
家族って、多かれ少なかれ、崩壊しかかっていて、と同時に、多かれ少なかれ、自己修復的な作業を無意識のうちにしていると、私は思う。

とすれば、この映画は、それを戯画化しているわけで。

しかしながら、映画としての質はどーかしら。

幻想(というか妄想)の場面が、カッコ悪い。

粋なバアさんを出せば、映画にハクがつくと思ったのか?
大楠道代、私は大好きなんだけど、こんな安っぽい使われ方すると、がっかりする。

友達がエキストラで出てたそーだが、探す気力が失せた。
メゾン・ド・ヒミコ
飛行機の中で見た日本映画が、あんまりにもひどくて、「日本映画って、こんなに低レベルだったのか!?」と、がっくりきた(「「恋空」と「包帯クラブ」」。

いやいや、そんなことはないはず、もちっとマシな日本映画だって、きっとあるはず!と、思って、TSUTAYAが半額だったので、ダイジョブそーなDVDをいっぱい借りてきたのだ〜

メゾン・ド・ヒミコ

田中泯が怪演。つか、全員怪演。
いや、田中泯が一番まともか?
彼はもともと性別というジャンル分けとは無縁の踊りをしてきたから。
(性別を超えたとかいうんではなくて、性別というカテゴリーが最初からない世界。つまり、ただのヒトってこと。いや、ヒトと泥と水と草ですら、いっしょくただ)

まあ、まあ、悪くない映画だった。

日本映画全部がダサダサじゃないってことがわかっのが、とりあえずよかった。

となりのトトロ

2008年7月18日 映画
この映画のビデオ、子どものいる家には、もれなくある。ホントに、もれなく。
ジブリって、相当儲けただろうなあ。

私は基本的に子どもに物を買ってやらない主義なのだが、我が家は長女が小さな頃、フランスで暮らしていて、彼女は保育園・幼稚園と、フランス人に囲まれて育ったので、日本語を身に付けなくなることをおそれた私は、せっせと日本語のビデオを彼女に見せた。

トトロもそのうちの一つである。

と言っても、私はこの映画をまともに見ていない。私が子供にテレビを見せるということは、テレビに子守をしてもらって、私は別の部屋で仕事をするということだから。

という訳で、いまもって、この映画がいいのか悪いのか、面白いのかつまらないのか、わからない。そして、わかろうという気にもならない。

ぼくを葬る

2008年6月24日 映画
エリック・ロメールの「夏物語」を、思いっきり意識しているなあと。ロメールに、オマージュを捧げてるのか? それとも、老監督に喧嘩売って、挑発してるのか? 
それはさておき、この映画。生きているだけで、つまりは、死に向かっているということだから、これは誰にとっても、身近なテーマ。ロマンみたいに、苦しみ、もがきながらも、近親者達に(生まれてくるであろう、自らの遺伝子を受け継ぐ子どもも含めて)、きちんと、自分なりのやり方で別れを告げて、強く、静かに、ひとりでそのときを迎えることができたら、理想的だろう。そういう意味では、良く出来た、美しい御伽噺であった。
戦争写真家なら、地雷のひとつも踏んで死ななくちゃ、一人前になれないわ(私の勝手な、個人的意見)!
そういう意味でも、そういう意味でなくても、一流中の一流の戦争写真家、ロバート・キャパ。
彼をを好きな人が見たら、ますますキャパを好きになる映画。
彼を知らない人が見たら、キャパという人物に魅了される映画。
丁寧に、とても上手に作りこまれたドキュメンタリーだと思う。キャパ本人を映す画は、数少ない生前の写真をもとに構成されているにすぎないのに、見終わると、まるで、生き、動く、彼を見たような錯覚を覚えた。

コマンダンテ 

2008年6月19日 映画
何故カストロがこんなにも長い間、指導者(独裁者?)であり続けられたのか、その理由がわかったような気にさせてくれる映画。

カストロは受け手に対して、誠実に、インタビューをこなす。
語りたいところは熱意をもって、きちっと語り、ごまかしたい部分は、「ごまかしているよ」という表情をで、きちっとごまかす。

チェ・ゲバラとの確執を語る場面は、ゲバラファン必見。

そして、さすがオリバー・ストーン、スクリーンの中での自分自身も、(タヌキ親父の風体とは言え)、それなりにチャーミングに見えるよう、演出している!(哲学人気取りの図々しさ、でもフレンドリーで憎めないキャラ?)

輝ける女たち

2008年5月18日 映画
原題は「LE HEROS DE LA FAMILLE」(家族のヒーロー)なんだけど!

映画の作り手は、皆の父親的存在であったガブリエルを中心に物語を組み立てて、この題名を付けたのだろう。
それなのに、この邦題では、残された女達のほうが主役になってしまう。(確かに、カトリーヌ・ドヌーブとエマニュエル・ベアールのゴージャスな存在感は、重量級)。

そのせいなのか?
視点の軸足が置きづらく、何ともバランスの悪い映画だった。

もっとも。
私のお目当ては、ヴァレリー・ルメルシエ。出番はあまり無かったけど、相変わらず、イイ味出してた!

本日。
午前、渋谷で太極拳。街頭では、募金箱を抱えた集団多し。あしなが募金やら、ミャンマー募金やら。そして、お祭りのために一部道路が閉鎖。そこへ極右翼の車が派手に行き来。まったくカオス。
夕方、ヘナ。

不完全なふたり

2008年5月17日 映画
仏語題は、Un Couple Parfait (完全なふたり)なんだけど。

監督は日本人だから、故意に使い分けたんだろうね。フランス人用と、日本人用と。
このカップルは、劇中で友人たちにしきりに、「あなたたちは、Un Couple Parfait」と言われていたから、皮肉を込めてつけたのが「完全」。その辺りのウィットを察するのが難しい日本人には、「不完全」。

それで。
フランス人が作る映画以上にフランス映画らしい映画だった。
監督はフランス語がわからず、台詞や演技は現場のスタッフや俳優に委ねられていたそうだから、そのためか?そのこと自体は、良くも悪くも無いけれど、「既にどこかで見たことのあるようなフランス映画」になってしまったのが、残念である。

でも。
私は長年の、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ ファンなので(93年の「おせっかいな天使」←メルヴィル・プポーとの共演!素晴らしい!以来)、彼女をじっくり堪能できて、楽しかった。彼女って、カーラ・ブルーニ(元スーパーモデルで、その後シンガーソングライターになって大ヒットを飛ばして、最近、サルコジ大統領と結婚した)のお姉さんなんだけど、そのこと、みんな(みんなって誰だ?)知ってるのかなあ?

舞台となっているロダン美術館。
長女が1歳のとき、ベビーカーに乗せて、行ったことがある。そのあと、ボン・マルシェ(デパート)に行って、夫の実家に戻ると、長女の靴が、片方無い!自分で脱いで、どこかに放り投げたに違いない!でも、どこかって、どこ?で!まず、ロダン美術館に電話して、探してもらった。館内はそれほど広くないけれど、庭は結構広いので、ちょっと恐縮しつつ…「マダム、残念ですが、お嬢さんの靴の片割れは、見つかりません」。次!ボン・マルシェ!「赤ちゃんの靴でしたら、片方、受付でお預かりしています」よかった!!
と、なんとも即物的な思い出が蘇ったのであった。

本日。
次女は便秘に悩み、長女は下痢に苦しんでいる。いったい、この家は、どーなってるんだ?

待つ女

2008年5月16日 映画
邦題がちょっと…
思わせぶり(やらしい感じ)だよねえ。
原題は「7ans」(7年)だよ?

ま、それは、いつものことだから、しょうがないとして。

刑務所に7年服役しなければならない夫を、待ち焦がれ、面会に行くたびやるせなさが募り、看守の男と関係を持ってしまう…

確かに、ストーリーだけ書くと、単なるいかがわし系なんだけど、そうはさせない映像の底力が、ここにはある。

主人公のヴァレリー・ドンゼッリは、田舎の風景が似合う。『マルタ…、マルタ』(サンドリーヌ・ヴェッセ監督←大好き!)の時もそうだったけど、フランスの田舎の深い緑のグラデーションに、すごく映えるのだ。霧がかかったような空気のなかで、凛とした表情で佇んでいると、それだけで、十分スタイリッシュな画になってしまう。

だから!この映画は、ひたすら彼女を鑑賞すればいい。田舎のちょっと貧しげな、でも風情のある一軒家で暮らす彼女、夫の服にアイロンをかけてゲランの香水をふりかける彼女、刑務所の壁で並ぶ彼女、隣の家の子供の世話をする彼女、その子供と雪山で過ごす彼女。

看守との性的関係なんて、はっきり言って、どーでもいいのだった。

本日。
次女は腹痛を訴えることも無く。
ビスケットを食べている彼女のすぐ近くで。
「あなたが口の中でビスケットを噛む、サクサクいう小さな音がとても可愛いわ。きっと小鳥がビスケットのかすをついばむときも、そういう音がするんでしょうね」
と言ったら、大きな目で、ギロリとにらまれた。

お風呂上りに突然、わあわあ泣き出した。学校で先生に2回も怒られたことが、悔しくて、悲しくて、腹が立ったのだ。
日記にも、「さいあくだった(×50回)。もう一生学校へ行きたくない」と書いてあった。何故怒られたのか、その理由は、絶対に言わない。
「お母さんは怒らないから、言ってごらん」と言っても、
「それは、わかってる。でも、言おうとすると、胸が苦しくなって、頭がおかしくなる」と言うので、無理に聞き出すのは、やめた。

レミング

2008年5月15日 映画
2005年 フランス映画

何しろ、ダブル・シャーロットですから!
(シャルロット・ゲンスブール & シャーロット・ランプリング!!)

見ないわけにはゆかないよ?

いちお、サスペンスらしく、不気味な空気が漂う画面。
怖いのかな?怖いのやだな。いつ怖くなるのかな?もうすぐかな?
と、ドキドキしながら見ているうち、ぜんぜん怖くもなんともなく、終わってしまった…

でもいいの。
シャルロット・ゲンスブールって、ほんとに何でもない服を、上手く着こなすなあ。
とか、シャーロット・ランプリングの三白眼って迫力あるなあ。とか、色々、見どころありましたから。

監督はドミニク・モル。デビュー作品の「ハリー、見知らぬ友人」の方が、不気味度はずっと上だった。



本日。
回復してきたはずの次女。夕食後、腹痛を訴え、何度も何度もトイレに行き苦しむ。
下痢ではないのだが、出せるもの出したら、落ち着いたようで、今は眠っている。
非常に我慢強い彼女が、「こんなに痛いの、初めて!もうだめ!」と、顔をゆがめるので、心配になった。
パリにて。人々の人生を5分だけ切り取ったもの、18個分。

しかし、生粋のパリジャンの姿は少なくて、移民や外国人のエピソードが多い。

「16区から遠く離れて(16区)」が、素晴らしかった。せわしく、だけど寡黙な時間の流れのなかで、移民の、若くて貧しい母親の、わが子を思う気持ちが切なく、私の胸に刺さった。

それと比較すると、大御所ジュリエット・ビノッシュを使った諏訪敦彦の「ヴィクトワール広場(2区)」は、大げさな母性で、ちょっとダサい。

「チュイルリー(1区)」は、コーエン兄弟のお遊びね。それにしても、スティーヴ・ブシェミ、年取ったなあ。10年位前にカンヌで実物を見たときは、それなりにフレッシュでしなやかな感じだったんだけど。

それに対して、ジーナ・ローランズ!「カルチェ・ラタン(16区)」。もう、大御所過ぎて、年取るの忘れた感じだわー。ジェラール・ドパルデューの、彼女に対するオマージュが、ひしひしと感じられた。

クリストファー・ドイルの「ショワジー門(13区)」は、しょーじき期待はずれ。

14区(14区)、勤勉なアメリカ人女性のフランス語はへたっぴだ、ということになっているようですが、彼女のフランス語は、文法的にも正しくて、とても丁寧なフランス語ですよ?そりゃー、多少アクセントはあるけれど、大変立派なフランス語です!!

「お祭り広場(19区)」、泣いた…

あと、「マレ地区(4区)」にマリアンヌ・フェイスフルが出てたのに、気がつかなかったのが不覚!

それから、夫の実家のある15区がなかったのが残念!
コメディに絡めた人間賛歌、もしくは人間賛歌に絡めたコメディ?

コリーヌ・セローは、オペラの演出をやってから、芸風が変わったようで。

2001年、パリのオペラ座(バスティーユ)で、J・シュトラウスの「こうもり」を見た。
映画監督が演出をしたということで、話題になっていた。
私の正直な感想は「だから?べつに、どーってことないのでは?」
中盤、ヒップホップのダンスが披露されたが、それを「新しい演出」と言うか?

でも。
この映画を見て、彼女がオペラの演出から得たものは多かったのだということがわかった。

夢の中のシーンは、ことごとくシュール。
怪物のヒップ・ホップシーンには、笑ったけど(よっぽど好きなんだね)

見てる間中、自分もバックパック背負って延々歩いてる気がしたのが、我ながらおかしかった。疲れちゃって、美しい景色が、目に入んないもんね、登場人物同様に。

それにしてもなあ。
あの、ヒューマニズム溢れるエンディングは、いただけません。映画を安っぽくしてるよ。

本日は、学校を休んだ次女と一日中、いちゃいちゃしていた。
草間彌生の作品が好きなので。

2004年のクサマトリックスは今一だったけど(ありゃー場所がと客層が悪かったんだ!)、その後の国立近代美術館は、ひじょーに!良かったもんね。

彼女のインスタレーションが、特に好き。別の次元への、扉という感じがする。
もちろん、平面だって、素晴らしいんだけど。天才ですから。

それでもって、この映画。
私同様、長年の草間ファンである友人と一緒に見たのだが、最初から最後まで、二人して、ほとんど笑いっぱなしだった。
草間が、自分の作品を大肯定しまくりで、それがあまりにも「ごもっとも!」なので、嬉しくなって、笑っちゃう感じ。

しかしながら。精神疾患を幼い頃から患い続けている彼女にとって、作品を生み出すことは、救いでもあるだろうけれど、苦しみでもあるだろう。

その辺りに触れなかったのは、故意なのか?
この監督は、草間に対して、あまりにも鈍感な接し方をしていたのだが、それも、わざとなのだろうか?

草間さん、あなたの作品で、わたし達を、また、宇宙のどっかまで連れてってくださいね。
映像が美しい。
カメラワークと編集がスタイリッシュだ。
音楽がイカシている。

フランスのダメダメ野郎を演じるとピカイチな、アマルリックの、みごとな怪演。
破綻も苦悩も屈折もない人生だなあと。
いや、もしかしたらあるのかもしれないけど、この映画があまりにも表層的にしか彼女を捉えていないから、そういうのは、見えない。
帰宅後、ダイアン・アーバスの伝記の背表紙を撫でた。

パティ・スミス(←年取るにつれて、若々しくなるなあ)のインタビューがあったから、まあ、許す。

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