2005

2009年12月5日 友達

結婚のパーティ

2009年11月15日 友達
昨晩は友人Muの結婚パーティへ。

お互いに人生の経験を沢山経て、去年出会い、今年の七夕に入籍した二人は、初々しくて、でも、まるでずっと連れ添った夫婦のようにも見えて、素敵なカップルだった。

一次会はイタリアンで立食、二次会は和食の店でしっとりと。
幸せの「気」をたっぷり吸わせてもらった。

バーベキュー!

2009年11月1日 友達


結婚のお祝いを買いに
友人Muの結婚のお祝いを買いに行った。
友人Yuと、南欧の食器を幅広く扱うお店へ。

友達4人からの合同プレゼント。
Yuが以前勤めていた店だったので半額にしてもらえて、かなり充実の豪華なプレゼントとなった!

私もついでにスペインの青い器を2枚買った。

あと、竹久夢二のレアな絵葉書を大人買い。

お昼はイタリアンの店で食べた。

Nさんのおもてなしが大変心地よく、Nさんの笑顔がとろけるように優しいので、いつもいつも甘えてしまいます。こんなに甘やかしてくださって、本当にどうもありがとう。
Nさんのお家は、わたしにとって、癒しのオアシスであり、何処よりも素晴らしいパワースポット。NさんとMさんの良い気のシャワーを浴びて、心も身体もリフレッシュしました。足の小指の先まで穏やかなエネルギーで満たされたのを感じます。
そしてまた、K家の幅広い教養に深く感じ入りました。ご夫妻の柔軟な感性には、憧憬を抱きますことよ!
朝、自宅に向かってMさんと自転車をこぎだした時、新鮮な空気の中に金木犀の香りが漂っていて、ますます幸せな気持ちになりました。
これから次第に気温が下がりますね。どうぞ、流感などに罹りませんやうに。そしてもしも罹っても、機嫌よく、ウィルスなんかやっつけちまいますやうに。

t.p.

追伸 お返ししようと思っていたご本を、忘れて行ってしまいました。どうか、この次にお会いできるときまで、わたしの手元に置いておくことをお許しくださいね。

朝の5時半まで、飲んだ。
NとMと私の、3人の飲み会。

シャンパンを飲んで、あとはずっと日本酒。

こんなにも長い時間、心地よく、飲み、喋り続けられるのは、Nの家に良い気が流れているからなのだと、思った。


パメラから手紙が届いた。
パメラは、次女がこの夏、仲良しになったお友達。

私が次女より1週間遅れてフランスへ着くと、
「お友達ができたよ!」
と、次女が紹介してくれた。すでにお互いの家を行き来する仲になっていた。

パメラのおばあ様の別荘が近くにあり(と言っても、入り江の海岸沿いを歩いて20分、ボートで直線に漕いでも20分の距離)、パメラのおばあ様と義母は、子供の頃からの友人だった。
今年は、パメラのお母さんのアンヌがお嬢さんのパメラを連れて母親の別荘に来たので、そこから二人の交友が始まったという経緯。

二人がとても仲良しで、しょっちゅうどちらかの家で遊んでいるから、私もアンヌと親しくなった。

日本人と接するのは初めてというアンヌは建築家で、日本に関する質問をぽんぽんと投げかけてきた。
「神道と仏教について教えてくれる? 神社の鳥居の垂直の柱とそれをつなぐ2本の水平な棒には、何か象徴的な意味があるの?」
私としては、自分の不勉強さを大いに恥じた次第で…

そうこうするうちに、プライベートな話もするようになって、その話は、日を追うごとに深刻化していくのだった。

彼女たちはベルサイユに住んでいて、パメラには4人のお兄さんがいる。今、息子さんたちはご主人と船の旅しているので不在とのこと。
「優雅で物腰の柔らかいあなたに、4人の男の子がいるなんて、信じられないわ!」
「うふふ、みんなそう言うの。でも、私が息子たちといるところを見たら、きっと驚くわよ。声は大きくなるし、しゃべり方も断定的になるし」
「ご主人と息子さんたちは、いつ帰ってくるの?」
「多分、来週くらいね」

アンヌのお母さんはずっと体調が悪く、ほとんどベッドを離れない生活をしていて、アンヌは心を痛めていた。
「母は気性が激しくて、ずっと気が合わなかったの。病気になってから、ますます偏屈になって、もうお手上げよ…。父が献身的に世話をしているのが救いだけれど…」
こういう話は、だまって、うん、うん、と聞くしかない。
アンヌのお父さんは確かに素晴らしくまめな人で、私たちがおしゃべりしていると、
「コーヒーのお代わりはいかがかな?」
なんて、気を使ってくれた。

さて、その「来週」になっても、息子たちは帰ってこなかった。
が、船で遊んでいる人たちにはよくあることだ。

ヨーロッパのどこの都市が好きかという話題になって、
「ポルトガルでは、訪れた街、全部が気に入った!」
と私が言うと、
「私はローマが好き!フランスなら、パメラを生んだ、カタローニュも悪くなかったわ!」
「パメラは、カタローニュで生まれたの?」
「そう。私、一人で、産みに行ったの」
 少々理解に苦しんだが、男の子4人がにぎやかにしている自宅より、静かな環境で赤ちゃんを産みたかったのかもしれない。「静養地」という概念のあるフランスでは、ありえる話だと思った。

そのうち、次女はパメラの家でお泊りをするようになった。
私が何の気なしに、
「日本へ帰ったら写真を送るから、ベルサイユの住所を教えて!」
と言うと、アンヌは、すこし躊躇して、こう切り出した。
「私とパメラは、ベルサイユには戻らない…。カタローニュで、パメラと二人で暮らすつもり。私はあそこの土地柄が気に入っているから…」
「え? 息子さんたちと離れ離れになるってこと?」
「そうよ…。息子たちの教育のためには、ベルサイユに残すほうがいいもの。上の子は16歳で、下の子達の面倒を見られるし、大丈夫だと思うわ。」
!!!!
「寂しくないの?」
「寂しいけど…。それより、これから、新しい土地で、アパルトマンを探して、仕事を見つけて、パメラの通う小学校の手続きをしなくちゃならないから、そっちの不安の方が大きいわ」
「冒険ね?」
「ええ、冒険よ」
ご主人との間がうまくいっていないことは、明らかだった。もしかしたら、パメラの父親はご主人ではないのか? カタローニュに恋人がいるとか? けれど、それに関して、深く尋ねる気持ちもエネルギーも私にはなかった。もしかしたらアンヌは、聞いて欲しかったのかもしれないけれど…

私達が日本へ発つ日のお昼ごろ、アンヌとパメラはさよならを言いに来た。
「この夏、仲良くしてくれてありがとう!素晴らしい未来があなたを待っていることを祈ってる!」
お別れのキスをしても、アンヌはなかなか帰ろうとしなかった。なにか、話したいことがあるのか…? でも、スーツケースにあらゆる荷物を詰め込んで午後3時に、私達は空港に向かわなければならなかったのだ。
「ごめんね、荷造りがまだ終わっていないの。だから、ほんとに、ここでサヨナラしなくちゃならないのよ」
「ああ、そうよね、ごめんなさい」
去っていくアンヌの背中を、私は見つめた。

帰国してからもずっと、アンヌのことは頭から離れなかった。

子供たちと遊ぶときはタンクトップにショートパンツ姿だけど、遊び終わると、美しいドレープの緑のドレス(それは見たこともない、素敵な形のドレスだった)や、紺のきりっとしたワンピースに着替え、宝石を身に付ける、とてもエレガントな人。
知的好奇心にあふれ、知らないことは納得がいくまで調べる人。
柔らかい話し方で、周りの人を気持ちよくさせる人。

彼女なら、これからの新しい人生がうまく回るはずだと、信じたかった。



そうしたら、今日、パメラから次女への手紙が舞い込んだ!
中には2枚の絵葉書が入っていて、パメラから次女へ宛てた内容の手紙が、アンヌの手によって綴られていた。
カタローニュの、桃と葡萄の畑に挟まれた谷の小さな村で、アパルトマンを借りたこと。
パメラは村の小学校に入ったこと。そこで彼女は一番の上級生で、それより上の学年になったら、隣の少し大きな村の小学校へ行かなければならないこと。その隣村は1キロ離れていてるのだけれど、ふたつの村の作りはそっくりで、まるで、お母さんと娘みたいに仲良しな関係だということ。
こうのとりが飛んでいるのを見たこと。それは、冬になると寒くなるしるしだということ…


私は、アンヌが実際に踏み出した大きな一歩を確認して、心が震えた。

Nさま

2009年6月21日 友達
Nさま
美味しいお酒、美味しいお料理、そしてとても、くつろげる雰囲気。
日常と違う時間軸に身を委ねていたら、あっという間に時が経ち、朝の小鳥のさえずりを聞いたときは、現実世界に引き戻されたくなくて、心の中で抵抗しました。とってもいい夢から覚めたくないみたいに。いえ、それ以上に!
こんなに素晴らしい、魔法をかけたような夜を演出してくださるNさんには、感謝×一億京よ!(←最近次女に教わった単位です) 
Nさんたちとのおしゃべりは、私のちっさな脳みそを活性化してくれます。どんな自己啓発系の本を読むよりずっと効果的に、脳の発火ランプを点してくれると感じます。パチパチッとねっ。(あっ、でも、「のうだま」は、大変面白うございました。昨日、地下鉄に乗って読んでいたら、三茶まで乗り過ごしてしまいましたもの!)

けどね けどね、そんな長居を許してくださるNさんがどうか、お疲れになっていませんように。
そして、雨降りざんざんぶりの梅雨の日を、K家の皆様が、ご機嫌に過ごされますように。
お蚕さん達との親密な日々を、いつかまた教えてくださいね。

t.p.

に、お開きになった、私たちの飲み会。
友人N宅にて、友人Mと、私の、3人の宴。

ビール飲んで、シャンパン飲んで、日本酒飲んだ。

私が着いたのが昨夜の9時半くらいだったので、えんえん8時間近く飲み通し、喋り通しだったわけで。

次から次へと喋ることが出てきて、ずっと一緒に居たくて、離れたくなくて。

これも一種の依存症なのではないか?


うちに帰っても脳が興奮していて眠れないまま、長女の学校の運営委員会に行き、朦朧として辛い2時間を過ごした…


葉書

2009年6月9日 友達
2日続けて、友人Nから葉書が届いた。

会えば夜中まで飲んでしまうし、電話すれば長く話し込んでしまうので、お互い忙しい私たちは、少し距離を置くことを、何となく心がけている。

けれど、伝えたいことは、ふつふつと湧いてくる。
メールを送るほどの緊急性もなく、返信を求めるような内容でもないとき、葉書はちょうど良い。
1~2日の時間差にも愛しさが感じられる。

郵便受けの中に、Nの手書きの文字を見つけると、すごく嬉しくなる。

長電話

2009年5月28日 友達
友人Nから電話があり、2時間近くしゃべった。
子育てについて、文学について、落語について、美意識について…。

尾崎翠の素晴らしさを語り合った。
この作家には、ひと言や二言では表現できない世界観があるので、ふたりして、その素晴らしさを表せる言葉を探すような会話だった。
この感覚を共有できる人は、余り居ない。
今でも自分の脳みそが興奮しているのを感じる。

そして、Nと話していると、子育ても、丹念に何かを作り上げていく芸術的な営みであると、思えてくる。

Nの家では蚕を飼うことにしたそうで、庭に桑の木のあるお宅で、毎日数枚の桑の葉をもらえるようお願いしたとのこと。
「シャリシャリ桑の葉を食べる音を、ずーっと聞いているの。今年の夏は、蚊取りマットはもちろん、蚊取り線香も焚けないわ」
小さな生命を大切にするって、そうゆうことなんだね。

Fからの電話
日曜日にFから電話がかかってきた。

お母さんが亡くなった、その前と後の様子を詳しく話してくれた。

比較的容態が落ち着いていたときだったので、それは突然の出来事だったとのこと。


私たちは思い出話をたくさんした。

私は、Fの実家に滞在中、いろんなところへ連れて行ってもらった。
お父さんが車を運転して、おふたりが出会った場所や、若いときに暮らした場所を訪ねた。
スペインとの国境の山の頂上にのぼった。
子供たちが小さかったときにお手伝いさんとして来てもらっていたという、今は奥地に住む女性に会いに行ったこともある。

「あなたと、こうして両親の思い出が共有できて嬉しいわ。あなたが私の実家で休暇を過ごして、父や母と仲良くしてくれたおかげね。そして、あなたがフランス語をしゃべれたからよ。私もあなたのお母さんとは何度も会って、親しい気持ちはあるけれど、日本語ができないせいで、深く分かり合えることがないのが残念よ」

私のフランス語は、アカデミックというよりは、たたき上げのフランス語だ。しかも、そのたたき上げに、大いに貢献してくれたのは、F、その人なのだ。


そして、私の母の今の状況を知ったFは、深く心を痛めてくれた。


Fは、自分が疲れきっていると言った。
毎週、金曜日の夜の寝台車でお母さんの住む街へ行き、日曜の夜の寝台車でパリに戻る生活を何年も送ってきたF。緊張の糸が切れた今、疲れがどっと押し寄せているのだろう。
「ゆっくり、休んでね」
「うん、今は、1年間くらい、ぶっ続けで眠りたい気分よ」

国際電話だということも忘れて、1時間以上しゃべってしまった。
ああ!ごめんね!F!
今度はわたしからかけるからね!

Nさま

2009年3月29日 友達
気持ちのよい時間と場所をお与え下さって、ありがとう。
一日の最後らへんの時に、Nさんのおうちを訪ねるのは、学校が引けたあとの子供がお友達の家に遊びに行くみたいに、いえ、それ以上に、すごくわくわくして、心踊ることです。
Nさんたちとの会話には、この先に深く考えてゆくと良いであろう、いろいろなことのきっかけがちりばめられているように感じます。
そして、Nさんの、素晴らしいアトリエを訪問させて下さってありがとう。イマジネーションが渦巻くワンダーランドに、うっとりしました。見せてくださった作品の数々は、普遍的な美しさと温かみがあり、隅々にまで丁寧さが行き届いていて、惚れ惚れしました。
いつかきっと、私のための作品を注文させてくださいね。そのときのために、へそくりを貯めておきますので!
お借りした猫村さん、長女がちょ~ハマリマシタ(私が午前中留守にしていた間に一気読みしてしまったの)。彼女からのふたことみことも、同封します。
もうすぐ帰省されるのですね。花冷えに気をつけて楽しんでらしてね。

t.p.

友人Nの家で、友人Mとともに夜のひとときを過ごした。
静かに飲みながら、いろいろなことを話した。
ふたりとも、深い人生観、職業観をもっているので、話を聞くのが刺激的だし、それを糸口として、自分の中にありながら気付いていなかった考えがずるずると引き出される。


中身の濃い話を3時近くまでして帰宅したが、頭が興奮していたのと、今朝、次女の学校の委員会の会議が朝からあったので、寝過ごしちゃいけない!と、緊張していたのとで、ほとんど眠れなかった。
冴えているのか朦朧としているのかわからない私の頭は、今日の委員会の発足式で、会計係を引き受けた。お金には思い切りアバウトな私なのだが? 大丈夫かね?



ハードな飲み会!
土曜の保護者会の後は、友人たちとの飲み会へ。

友人Tがご主人の仕事の都合で引っ越すので、その送別会。友人M,N,C,Fと。
メンバーがメンバーなだけに、ハードな飲み会になるだろーなーと思っていたが、予想通り、ハードだった。

フレンチ・ビストロに6時に集まって、料理はおつまみ的に頼んで、
「まず、ビール」。
そのあとはがっり、白(フルーティなアルザス)→ロゼ(地名忘れた)→赤(ちょっと軽めのボルドー)→赤(濃厚なボルドー)→赤(ややさわやかめ、でも深みのあるボルドー)と、1万円ちかいボトルを次々に景気よく開けた。うーん、気持ちいいネ!
12時近くなって、店じまいを始めたので、その後は、F行きつけのバーで、今度は各自が次々にお好みのカクテルを飲み干していたが、私はもう自分の限界が見えてきたので、ほどほどに抑えておいた。

夜中の2時半解散で、実に8時間半も飲んでしゃべっていたわけだが、何を話していたのかよく覚えていない。まあ、所々は思い出すが、とても8時間半分は思い出せない。

年取ると、時間のたつのが早くなる、酒に弱くなる、記憶力が低下する、その相乗効果か?
(まさか「モモ」の時間泥棒が時間を盗んでいるわけじゃないよね?)

それでもって。
Tは2年後には東京に戻ってくるそうで、ちっともお別れの悲しさの伴わない送別会だった。とゆうか、その2年の間に、いかに私たちが都合をつけて、Tの引越し先の地へ乗り込むかを相談するのに終始していた…ような気がする。


フランスの友人Fから、お母さんが亡くなったというメールが届いた。
4年前にご主人が亡くなってからずっと体調が悪かったようだが、最後は急性の白血病で亡くなった。
パリに住むFは、毎週金曜の夜の寝台車で、お母さんの住むスペイン国境の街へ行き、日曜の夜の寝台車でパリに戻るという生活をずっとしていた。



私が若い頃にパリで暮らしていたとき、復活祭とクリスマスのバカンスを彼女の実家で過ごした。合わせれば1ヶ月以上、彼女の実家にお世話になり、お母さんの手料理をご馳走になったことになる。

Fのお母さんは、小学校の先生をしていた人で、独身のときは、山深い小さな村で教えていたそうだ。
「村に一軒だけある食堂兼旅館に住んでいたのよ。村の人たち全員と知り合いになって、子供たちも可愛くて、楽しかったわ」
その頃の話を聞いたり、写真を見せてもらったりするのが大好きだった。
あと、その頃に知り合った国境税関員のご主人とのエピソードも!

わたしが料理を手伝えば、
「この料理は、○○が手伝ってくれたから、おいしいわよ」
と言い、アイロンがけを手伝えば、
「すごいわ!とても上手!」
と、褒めてくれた(さすが、小学校の先生だ…)

おしゃれで、いつもステキな装いをしていた。
花が大好きで、私が滞在の最後の日に花を贈ると、抱きしめてくれた。

メールの最後には、こう書かれていた。
「もう、彼女は苦しまなくてすむし、故郷の墓地のパパの横で、安らかに眠ることになったから、あまり悲しまないでね」

人々への愛情にあふれていた、Fのお母さん。
あなたの優しい心は、手に触れて、その温かさを感じることができるようでした。
わたしは、あなたに可愛がってもらえて、とても幸せでした。
あなたと過ごした日々は、私の人生の中の財産です。
本当にどうもありがとうございました。




Nさま

2009年2月4日 友達
「捨てる神あれば拾う神々ありだなあ」と実感した昨日でした。
私たちを拾ってくれた神々のうちの一人は、もちろん、Nさんです。
弱虫の私をいつも助けてくれて、ありがとう。
心が折れそうなとき、やさしくしてくれてありがとう。

t.p.



心のこもったご馳走をいただき、素晴らしく居心地のよい空間であんなにもゆったりとくつろがせてもらい、私はとても幸せでした。本当にどうもありがとう。

Yちゃんの具合はいかがでしょうか。お咳のほうは、おさまったでしょうか。
心配ごとがあったにもかかわらず、私たちを快く迎えてくださったNさんの、強さと暖かさは、神々しかったです。

Nさんの家でよい気をたっぷり吸収してきた私は、ハツラツとしています。
そして、中崎タツヤを、大量にお借りできましたから、当分、機嫌よく暮らせそうです。

Yちゃんが早く回復されますように。そして、K家の皆様が健やかな日々を送られますように。

t.p.

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