お家に入れない!!!
2008年9月30日 日常
普段は、子どもたちが登校した後に出かけるので、自分で鍵を閉め、当然、その鍵を持っていく。
ところが!!!
今日は、長女が秋休みで、家にいたのである。
それで、玄関を出るとき、鍵を閉めなかった。
そして!!
私が家に戻ったとき、長女は出かけていて、玄関の鍵が閉まっていた。
オーマイガーッ!!!
私のカバンに、鍵がないじゃないかー!
そうだ、出かけるとき、鍵を閉めなかったから、鍵を持っていかなかったのだ!!
えーん、おうちに入れないよう。
エントランスのソファに座って途方に暮れるが、良いアイデアは浮かばない。
(長女の携帯はつながらない、だって、期末テストの結果が悪かったから、取り上げちゃったんだもん。夫は出張中だし。嗚呼、トイレ行きたいかも…)
仕方がないので、管理人さんに相談すると、電話帳の鍵屋ページを開いて持ってきた。
電話したら…
40分くらいで来てくれた。
若いイケメンのお兄さんだ。
「このタイプの鍵は、ピッキングでは開けられません。ドアスコープから行きましょう」
と言って、ドアスコープをはずし、工具を入れて、扉の内側から、カチャッと鍵を開けてくれた。所要時間、3分ほど。
私は、彼のあまりの手際のよさに感嘆して、また、自分の家のドアが開いたことに感動して、拍手した。(「ブラボー!」と言いたかったが、言わなかったよ)。
「これ、サムターン回しっていうんです」
「泥棒もこの手口で開けるの?」と、管理人さん。
「ええ、よく使われる手口です」
うーん、なんだか微妙…
気になる御代は、15750円。
素晴らしいスペクタクルを見せてもらったと思えば、そう高くない。
と、自分に言い聞かせた。
ところが!!!
今日は、長女が秋休みで、家にいたのである。
それで、玄関を出るとき、鍵を閉めなかった。
そして!!
私が家に戻ったとき、長女は出かけていて、玄関の鍵が閉まっていた。
オーマイガーッ!!!
私のカバンに、鍵がないじゃないかー!
そうだ、出かけるとき、鍵を閉めなかったから、鍵を持っていかなかったのだ!!
えーん、おうちに入れないよう。
エントランスのソファに座って途方に暮れるが、良いアイデアは浮かばない。
(長女の携帯はつながらない、だって、期末テストの結果が悪かったから、取り上げちゃったんだもん。夫は出張中だし。嗚呼、トイレ行きたいかも…)
仕方がないので、管理人さんに相談すると、電話帳の鍵屋ページを開いて持ってきた。
電話したら…
40分くらいで来てくれた。
若いイケメンのお兄さんだ。
「このタイプの鍵は、ピッキングでは開けられません。ドアスコープから行きましょう」
と言って、ドアスコープをはずし、工具を入れて、扉の内側から、カチャッと鍵を開けてくれた。所要時間、3分ほど。
私は、彼のあまりの手際のよさに感嘆して、また、自分の家のドアが開いたことに感動して、拍手した。(「ブラボー!」と言いたかったが、言わなかったよ)。
「これ、サムターン回しっていうんです」
「泥棒もこの手口で開けるの?」と、管理人さん。
「ええ、よく使われる手口です」
うーん、なんだか微妙…
気になる御代は、15750円。
素晴らしいスペクタクルを見せてもらったと思えば、そう高くない。
と、自分に言い聞かせた。
「夫はフランス人だ」と伝えると、「私、実は仏文出身なの」と言う人々に、何故だか子育てを通じて、よく出会う。
「じゃあ、フランス語、話せるの?」と聞くと、「全然!」と言う。
「読んだり、書いたりは出来るんだよね?」と聞くと、「全然!」と言う。
謙遜してるのかなあ?と思ってたけど、学校の行事などで、「彼女は大学でフランス文学を専攻していたんだよ」と、夫に紹介すると、彼女たちは後ずさりし、その後、夫を避けるようになる。
日本の大学教育って、何なんだろう?4年の時間を費やして専門的なことを学んでも、卒業したら、すっかり忘れちゃうのかね?
だがしかし。よく考えてみれば。
私は仏文出身じゃないけど、フランス語は一応出来る。
でも、実は国文出身なのに、日本の古典には弱いのだった!!
でも、いいの。子どもの運動会に、紫式部は来ないもんね。
「じゃあ、フランス語、話せるの?」と聞くと、「全然!」と言う。
「読んだり、書いたりは出来るんだよね?」と聞くと、「全然!」と言う。
謙遜してるのかなあ?と思ってたけど、学校の行事などで、「彼女は大学でフランス文学を専攻していたんだよ」と、夫に紹介すると、彼女たちは後ずさりし、その後、夫を避けるようになる。
日本の大学教育って、何なんだろう?4年の時間を費やして専門的なことを学んでも、卒業したら、すっかり忘れちゃうのかね?
だがしかし。よく考えてみれば。
私は仏文出身じゃないけど、フランス語は一応出来る。
でも、実は国文出身なのに、日本の古典には弱いのだった!!
でも、いいの。子どもの運動会に、紫式部は来ないもんね。
車の免許の更新に、最寄の警察署へ行った。
お約束ビデオのナビゲーター&ナレーションが福留功男で、報道・情報番組をちょおーっとばかり意識した作りだった。でも、だからと言って面白いわけでも、説得力あるわけでもなかった。
今回、「普通」免許から「中型」免許になったが、別にこれはヴァージョンアップしたわけではない。今まで普通免許だと、車両重量8t未満、最大積載量5t未満の車に乗れたのだが、去年の6月から普通免許を取った人は、車両重量5t未満、最大積載量3t未満の車にしか乗れなくなった。それで、それ以前に普通免許を取得した人のために、既得権として8t&5t未満の「中型」という範疇を設けたのだ。
つまり、私にとっては、何も変わらないということ。
でも、去年の6月以降に免許取った人は、なんだか損した気分だね。
これって、世間の常識だったのだろうけど、私は今日はじめて知った。
それから、ICカード化に伴ない、暗証番号を二つ決めさせられた。
免許証に載らなくなった本籍の確認のために、さっそく読み取りの暗証番号を入力してみたら、いきなり間違えた。3回間違えるとICチップは読めなくなるそうで、これじゃ先が思いやられる…。
お約束ビデオのナビゲーター&ナレーションが福留功男で、報道・情報番組をちょおーっとばかり意識した作りだった。でも、だからと言って面白いわけでも、説得力あるわけでもなかった。
今回、「普通」免許から「中型」免許になったが、別にこれはヴァージョンアップしたわけではない。今まで普通免許だと、車両重量8t未満、最大積載量5t未満の車に乗れたのだが、去年の6月から普通免許を取った人は、車両重量5t未満、最大積載量3t未満の車にしか乗れなくなった。それで、それ以前に普通免許を取得した人のために、既得権として8t&5t未満の「中型」という範疇を設けたのだ。
つまり、私にとっては、何も変わらないということ。
でも、去年の6月以降に免許取った人は、なんだか損した気分だね。
これって、世間の常識だったのだろうけど、私は今日はじめて知った。
それから、ICカード化に伴ない、暗証番号を二つ決めさせられた。
免許証に載らなくなった本籍の確認のために、さっそく読み取りの暗証番号を入力してみたら、いきなり間違えた。3回間違えるとICチップは読めなくなるそうで、これじゃ先が思いやられる…。
今日、太極拳の先生が、後半の通し稽古を始めるとき、座っている生徒たちに、ご主人の病について話された。
食欲が無いなど、体調が思わしくなかったので、病院にかかったら、重い病に冒されていたことがわかったこと。入院して2週間になるが、治療の余地がないこと。もしかすると、9月か10月に…
これらのことを、静かに、淡々と、語られた。
「検査の結果を聞くたびに、信じられなくて、夢を見ているような気持ちになります。」
「太極拳を教えている間、心が切り替えられます。」
先生が語っているとき、教室の空気が、ほんの少し白みを帯びて澄んだ感じになった。
先生の姿は儚げで、そして、神々しかった。
それから私たちは立ち上がって、後半の通し稽古をした。
食欲が無いなど、体調が思わしくなかったので、病院にかかったら、重い病に冒されていたことがわかったこと。入院して2週間になるが、治療の余地がないこと。もしかすると、9月か10月に…
これらのことを、静かに、淡々と、語られた。
「検査の結果を聞くたびに、信じられなくて、夢を見ているような気持ちになります。」
「太極拳を教えている間、心が切り替えられます。」
先生が語っているとき、教室の空気が、ほんの少し白みを帯びて澄んだ感じになった。
先生の姿は儚げで、そして、神々しかった。
それから私たちは立ち上がって、後半の通し稽古をした。
今夜の便で、長女とフランスへ行く。
早朝パリに着き、4〜5時間待って、乗り換えて、ブルターニュの別荘へ。
私は飛行機が嫌い。
長女が小さくて、フランスで暮らしていた頃、彼女と二人で年に2回ほど日本へ里帰りしていた。
私にはそれが、辛くて仕方がなかった。
小さな子どもと長時間の飛行は非常なストレスで、おまけに彼女は、渡航前に原因不明の発疹を体中に出したり、飛行機の中でサービスされるジュースの氷をガリガリ食べながらプラスチックのコップまでガリガリ食べちゃったりして、機内で「お医者さんいますか?」アナウンスをかけてもらったこともある。
ただですら、日本とフランスの間で、私の心と体は、張り裂けそうだったのに。
あの時代のことが、トラウマになっているのだ。
「行きたくない、あー、フランス、行きたくない」
心の中だけで言っているつもりだけど、10回に1回は口に出して言ってしまっているのだろう。
「お母さん、フランスに行きたくないんでしょ。でも、首に縄を付けても、連れてくわよ」
今は、長女に、こう言われているのである。
早朝パリに着き、4〜5時間待って、乗り換えて、ブルターニュの別荘へ。
私は飛行機が嫌い。
長女が小さくて、フランスで暮らしていた頃、彼女と二人で年に2回ほど日本へ里帰りしていた。
私にはそれが、辛くて仕方がなかった。
小さな子どもと長時間の飛行は非常なストレスで、おまけに彼女は、渡航前に原因不明の発疹を体中に出したり、飛行機の中でサービスされるジュースの氷をガリガリ食べながらプラスチックのコップまでガリガリ食べちゃったりして、機内で「お医者さんいますか?」アナウンスをかけてもらったこともある。
ただですら、日本とフランスの間で、私の心と体は、張り裂けそうだったのに。
あの時代のことが、トラウマになっているのだ。
「行きたくない、あー、フランス、行きたくない」
心の中だけで言っているつもりだけど、10回に1回は口に出して言ってしまっているのだろう。
「お母さん、フランスに行きたくないんでしょ。でも、首に縄を付けても、連れてくわよ」
今は、長女に、こう言われているのである。
夜の便で、次女と夫が、フランスへ発った。
長女は合宿でいない。
次女とは1週間のお別れになるので、お互い、7通の手紙を書いて、夜、寝る前に1通ずつ開けて読むことにした。
私の寝台の脇の台には、輪ゴムで束ねられた、1日目から7日目までの手紙がある。ずるして、一気に読みたいところだけど、我慢、我慢。
夕方、大げさなお別れをして、空港へ出かける彼らを玄関で見送くると、私の頭はスパッと切り替わり、自転車に乗って、下北沢へ。お洋服など、色々買っちゃったもんね。
テレビ見ながらご飯食べちゃったもんね(←ウチでは厳禁事項)。
明日はお友達の家に行っちゃうもんね。
あー、一人っていいね。
長女は合宿でいない。
次女とは1週間のお別れになるので、お互い、7通の手紙を書いて、夜、寝る前に1通ずつ開けて読むことにした。
私の寝台の脇の台には、輪ゴムで束ねられた、1日目から7日目までの手紙がある。ずるして、一気に読みたいところだけど、我慢、我慢。
夕方、大げさなお別れをして、空港へ出かける彼らを玄関で見送くると、私の頭はスパッと切り替わり、自転車に乗って、下北沢へ。お洋服など、色々買っちゃったもんね。
テレビ見ながらご飯食べちゃったもんね(←ウチでは厳禁事項)。
明日はお友達の家に行っちゃうもんね。
あー、一人っていいね。
午前。半蔵門にある、某小物メーカー(スカーフ、ストール、帽子、傘など)のファミセに行く。
夕方。広尾の美容院で、ヘナ&カット。
次女。昼間は体が熱く、うつらうつら眠っていたが、夜には少し元気になった。
夕方。広尾の美容院で、ヘナ&カット。
次女。昼間は体が熱く、うつらうつら眠っていたが、夜には少し元気になった。
しょっちゅう、どこかしらの電球が切れて、取り替えなければならない。
全部で何個あるんだろうと、数えてみたら、31個。
大きいのやら、小さいのやら、中くらいのやら、100ワットやら、60ワットやら、種類も様々で、ストックの管理が面倒くさい。
3LDKでこの数は、多すぎるような気がするんだけど。
電気代、異常に高いし。
しかも白熱灯って熱いから、夏は、ますます暑さが増す!!
全部で何個あるんだろうと、数えてみたら、31個。
大きいのやら、小さいのやら、中くらいのやら、100ワットやら、60ワットやら、種類も様々で、ストックの管理が面倒くさい。
3LDKでこの数は、多すぎるような気がするんだけど。
電気代、異常に高いし。
しかも白熱灯って熱いから、夏は、ますます暑さが増す!!
私が現在使っているデスクトップパソコンは、夫が部品を買ってきて作ったものなのだが、うるさくて、熱い!
うるさいのは結構慣れた。しかし、これからの季節、熱いのはキツイ。
(冬の間は、あったかくて、重宝したけど。)
冷却ファンがちゃんと機能していないのだろう。何とかして欲しい。(私じゃ何とかできないもん!!)
しかしながら、夫はおとといから中国へ出張に行ってしまった。大連と香港だ。
「ヘンなお土産買ってこないでよ!!!」と、よーく念を押しておいた。
シンガポールのお土産のお菓子が、女子たちに、あまりにも評判が悪かったので!
うるさいのは結構慣れた。しかし、これからの季節、熱いのはキツイ。
(冬の間は、あったかくて、重宝したけど。)
冷却ファンがちゃんと機能していないのだろう。何とかして欲しい。(私じゃ何とかできないもん!!)
しかしながら、夫はおとといから中国へ出張に行ってしまった。大連と香港だ。
「ヘンなお土産買ってこないでよ!!!」と、よーく念を押しておいた。
シンガポールのお土産のお菓子が、女子たちに、あまりにも評判が悪かったので!
スタバには行かない。
2008年6月12日 日常
最近、どこに行ってもスターバックスがある。
でも、「お茶しようか?」ってとき、私はスタバに行かない。
どの店舗に行っても、マニュアル通りの同じ味の飲み物が出てくるなんて、私はイヤだ。
私がどこかに行くということは、地理的に移動しているわけだから、そこの場所ならではのものを、味わいたいと思う。それがたとえ、数キロの移動距離でも。
だから、地元の人がやってそうな喫茶店や、
オリジナルなものを出そうと工夫しているカフェを探す。
そこが、たとえ不味かったとしても、店の対応に不満があったとしても、私は、一つの体験として、それを消化する。
だから。
私はスタバには行かない。
街角であの甘ったるい匂いを発する、スタバには。
でも、「お茶しようか?」ってとき、私はスタバに行かない。
どの店舗に行っても、マニュアル通りの同じ味の飲み物が出てくるなんて、私はイヤだ。
私がどこかに行くということは、地理的に移動しているわけだから、そこの場所ならではのものを、味わいたいと思う。それがたとえ、数キロの移動距離でも。
だから、地元の人がやってそうな喫茶店や、
オリジナルなものを出そうと工夫しているカフェを探す。
そこが、たとえ不味かったとしても、店の対応に不満があったとしても、私は、一つの体験として、それを消化する。
だから。
私はスタバには行かない。
街角であの甘ったるい匂いを発する、スタバには。
今日、車の運転に関して、人と話していて、思い出したことがある。
私の夫は車の免許を持っていない。
ので、私が一家の運転手である(日本の免許もフランスの免許も持っている)。
東京住まいでは車を必要としないが、フランスへ行けば、車を運転せざるを得ない。
フランスの交通ルールで気をつけることは、とにかく、「右側に気をつけろ!」。
信号や、ロータリーなどのの左優先の標識がないときは、絶対右側優先。
あるとき。
左折するため、左から来る車にばかり気を取られ、右側の確認を十分にしないまま、うっかりハンドルを左に切ってしまった。そこへ、結構なスピードでやって来た右側の車のわき腹に思い切り、突っ込んだ。
相手の車の持ち主のおばさんは、車を降りると、すごい剣幕でやって来た。
「ちょっと、どこ見て運転してんのよ!?ここは、あたし優先なのよ!?あたしの可愛い車に怪我させて、あんた、相当な馬鹿野郎だわ!」などなど。
言いたいだけ言うと、彼女は自分の車に戻り(よく見るとすでに相当なポンコツだった)、バタンとドアを閉め、エンジンをかけて、去っていった。
え?これでいいの?まじ?
あたしが、100パーセント、悪いんだよ?
気を取り直して、車を発進させ、スーパーの駐車場に入れて、自分の車を眺めた。
わき腹に突っ込んだ右前の角がへこんでいた。
そして!
なにかポタポタと、液体が漏れている!!
オイルー!?
そっと触って匂いを嗅ぐと、洗浄水のにおいがした。でも。オイルの匂いなんか嗅いだことないし、だから、これがオイルじゃないとは言い切れない。
そろそろとブレーキを踏みながら、修理工場へ持っていった。
「マダム、ウォッシャー液のタンクにひびが入ってます」
よかった!タンクだけ取り替えてもらった。
へこんだ部分は、自分への戒めとして取っておくことにした。
そしたらなんだか、私の車、箔がついたようで、いい感じになったのよね。
私の夫は車の免許を持っていない。
ので、私が一家の運転手である(日本の免許もフランスの免許も持っている)。
東京住まいでは車を必要としないが、フランスへ行けば、車を運転せざるを得ない。
フランスの交通ルールで気をつけることは、とにかく、「右側に気をつけろ!」。
信号や、ロータリーなどのの左優先の標識がないときは、絶対右側優先。
あるとき。
左折するため、左から来る車にばかり気を取られ、右側の確認を十分にしないまま、うっかりハンドルを左に切ってしまった。そこへ、結構なスピードでやって来た右側の車のわき腹に思い切り、突っ込んだ。
相手の車の持ち主のおばさんは、車を降りると、すごい剣幕でやって来た。
「ちょっと、どこ見て運転してんのよ!?ここは、あたし優先なのよ!?あたしの可愛い車に怪我させて、あんた、相当な馬鹿野郎だわ!」などなど。
言いたいだけ言うと、彼女は自分の車に戻り(よく見るとすでに相当なポンコツだった)、バタンとドアを閉め、エンジンをかけて、去っていった。
え?これでいいの?まじ?
あたしが、100パーセント、悪いんだよ?
気を取り直して、車を発進させ、スーパーの駐車場に入れて、自分の車を眺めた。
わき腹に突っ込んだ右前の角がへこんでいた。
そして!
なにかポタポタと、液体が漏れている!!
オイルー!?
そっと触って匂いを嗅ぐと、洗浄水のにおいがした。でも。オイルの匂いなんか嗅いだことないし、だから、これがオイルじゃないとは言い切れない。
そろそろとブレーキを踏みながら、修理工場へ持っていった。
「マダム、ウォッシャー液のタンクにひびが入ってます」
よかった!タンクだけ取り替えてもらった。
へこんだ部分は、自分への戒めとして取っておくことにした。
そしたらなんだか、私の車、箔がついたようで、いい感じになったのよね。
ようやく!お雛様を仕舞った。
リビングの仙台箪笥の上に並んでいた、ガラスケースに入ったお雛様たちが、姿を消した。
雛祭りぎりぎりに出したので、すぐに仕舞うのはもったいないなあと思っていたのだ。
そんな折に、福岡出身のご主人を持つ友人が遊びに来て言う。
「福岡では、3月いっぱい出しとくんだよ」
ああ、それじゃ、福岡流に行きましょと飾っとくうちに、フランスから友人がやって来ることに。
「こうなったら、ぜひとも彼女に見せなくちゃ!」
その友人もフランスへ帰り、ああ、気がつけば、こどもの日も過ぎた。そこで今日仕舞った。
さて。
このお雛様たちは、私が4歳のとき、やって来てくれた。
ある日、近所のお友達の家に遊びに行ったら、豪華な雛壇が飾ってあった。
女の子のいる家は、お雛様というものを3月3日のために飾るのだと、私はそこで知る。
「ウチの親は知らない!教えてあげなきゃ!」
あせってウチへ帰ると、ちょうど新聞の折り込みに、雛人形の広告があった。
ラッキー!「お父さんが帰ってきたら、これを見せよう!」と、別にして取っといたはずなのに!
なんと、母が、赤ちゃんだった弟のウンチを、その広告で処理してしまったのだ!
怒った、怒った、怒った、それはすさまじく怒ったらしい。
「あれがないと、お父さんに雛人形の説明ができないじゃないのお!!!」
帰宅した父はその話を母から聞き、次の日、仕事の帰りに問屋街のほうまで行って、このお雛様たちを買ってきてくれた。当時脱サラして、設計事務所を立ち上げたばかりの父に資金に余裕は無かったので、大きな雛壇ではなく、当時流行っていた団地雛である。
私は結婚するとき、このお雛様を持ってきた。結婚してすぐに長女が生まれたから、毎年飾っている。フランスで暮らしていた数年の間も、毎年飾っていた。
私はこの小さなお雛様たちを、愛している。
リビングの仙台箪笥の上に並んでいた、ガラスケースに入ったお雛様たちが、姿を消した。
雛祭りぎりぎりに出したので、すぐに仕舞うのはもったいないなあと思っていたのだ。
そんな折に、福岡出身のご主人を持つ友人が遊びに来て言う。
「福岡では、3月いっぱい出しとくんだよ」
ああ、それじゃ、福岡流に行きましょと飾っとくうちに、フランスから友人がやって来ることに。
「こうなったら、ぜひとも彼女に見せなくちゃ!」
その友人もフランスへ帰り、ああ、気がつけば、こどもの日も過ぎた。そこで今日仕舞った。
さて。
このお雛様たちは、私が4歳のとき、やって来てくれた。
ある日、近所のお友達の家に遊びに行ったら、豪華な雛壇が飾ってあった。
女の子のいる家は、お雛様というものを3月3日のために飾るのだと、私はそこで知る。
「ウチの親は知らない!教えてあげなきゃ!」
あせってウチへ帰ると、ちょうど新聞の折り込みに、雛人形の広告があった。
ラッキー!「お父さんが帰ってきたら、これを見せよう!」と、別にして取っといたはずなのに!
なんと、母が、赤ちゃんだった弟のウンチを、その広告で処理してしまったのだ!
怒った、怒った、怒った、それはすさまじく怒ったらしい。
「あれがないと、お父さんに雛人形の説明ができないじゃないのお!!!」
帰宅した父はその話を母から聞き、次の日、仕事の帰りに問屋街のほうまで行って、このお雛様たちを買ってきてくれた。当時脱サラして、設計事務所を立ち上げたばかりの父に資金に余裕は無かったので、大きな雛壇ではなく、当時流行っていた団地雛である。
私は結婚するとき、このお雛様を持ってきた。結婚してすぐに長女が生まれたから、毎年飾っている。フランスで暮らしていた数年の間も、毎年飾っていた。
私はこの小さなお雛様たちを、愛している。
戸籍謄本を取りに、江東区役所へ行った。
私と娘たちの本籍地は、江東区にある。
私の母方の祖母の実家があり、嫁ぎ先でもあったところ。深川。
彼女は若いときに夫を亡くし、子供二人を抱えて実家にたよっていたのだが、東京大空襲に遭い、何もかもを失った。
命からがら丹波に疎開し、そして戦後も丹波に残り続け、本当に苦労して、母と叔父を育て上げた。(母を看護学校へ、叔父を大阪大学へ行かせた)。
その後、叔父の就職に合わせて上京し、亡くなるまでずっと横浜で暮らしたが、本籍地は変えなかった。
母は、静岡出身の父と結婚をしたので、私の本籍地はある時期まで静岡県だったのだが、私が18のときに両親は離婚し、私は母側についたので、私の本籍地は、そのときから江東区になった。
私は、自分の本籍が江東区にあることを好ましく思う。あの辺りにいくと、暮らしたこともないのに何故か、懐かしさがで胸が詰まる。
今日は、地元のおばあさんたちが作っているお弁当屋さんで、五目稲荷と、筍の煮物を買った。細かく切った具がたくさん詰まったお稲荷さんは、祖母の作ったお稲荷さんの味だった。
H医院で処方された大量の薬のおかげか、レイキをやっている友達が遠隔ヒーリングをやってくれたおかげか、体調が大分よくなった。
私と娘たちの本籍地は、江東区にある。
私の母方の祖母の実家があり、嫁ぎ先でもあったところ。深川。
彼女は若いときに夫を亡くし、子供二人を抱えて実家にたよっていたのだが、東京大空襲に遭い、何もかもを失った。
命からがら丹波に疎開し、そして戦後も丹波に残り続け、本当に苦労して、母と叔父を育て上げた。(母を看護学校へ、叔父を大阪大学へ行かせた)。
その後、叔父の就職に合わせて上京し、亡くなるまでずっと横浜で暮らしたが、本籍地は変えなかった。
母は、静岡出身の父と結婚をしたので、私の本籍地はある時期まで静岡県だったのだが、私が18のときに両親は離婚し、私は母側についたので、私の本籍地は、そのときから江東区になった。
私は、自分の本籍が江東区にあることを好ましく思う。あの辺りにいくと、暮らしたこともないのに何故か、懐かしさがで胸が詰まる。
今日は、地元のおばあさんたちが作っているお弁当屋さんで、五目稲荷と、筍の煮物を買った。細かく切った具がたくさん詰まったお稲荷さんは、祖母の作ったお稲荷さんの味だった。
H医院で処方された大量の薬のおかげか、レイキをやっている友達が遠隔ヒーリングをやってくれたおかげか、体調が大分よくなった。
余生を送っている気がしている。
いつ死んでもいい感じ。
10代の最初の頃、デヴィッド・ボウイの「1984」を聴き、ジョージ・オーウェルの「1984」を読んでいた。1984年という恐ろしげな年が実際にやってくるなんて、当時の私には考えられないことだったし、その頃に生きている自分というのも想像できなかった。
でも、あっさりと1984年はやってきて、私はちゃんと生きていた。代わりに友達がひとり、自殺した。
次。
「21世紀」という未来に実感が持てないまま、まさか自分が2000年まで生きようとは、夢にも思わなかった。そんなババアになっても生きながらえていようとは。
しかし、2000年は遠くのほうから私に向かってじわじわとやってきて、いきなりヒュッと過ぎ去った。ああ、何かに乗りそこなった感覚。
それで今。
やりたいことはやったような気がするし、行きたいところは行ったような気がするし、もうどうでもいい。
ずどんと、大きな嫌なものを抱えているので、いっそ死ねたら楽になるだろうとも思っている。
でも。
「子供は15歳までは母親が必要だ」って、何かに書いてあったから、次女が15歳になるまでは、あと8年、とりあえず生きているとしましょう。
いつ死んでもいい感じ。
10代の最初の頃、デヴィッド・ボウイの「1984」を聴き、ジョージ・オーウェルの「1984」を読んでいた。1984年という恐ろしげな年が実際にやってくるなんて、当時の私には考えられないことだったし、その頃に生きている自分というのも想像できなかった。
でも、あっさりと1984年はやってきて、私はちゃんと生きていた。代わりに友達がひとり、自殺した。
次。
「21世紀」という未来に実感が持てないまま、まさか自分が2000年まで生きようとは、夢にも思わなかった。そんなババアになっても生きながらえていようとは。
しかし、2000年は遠くのほうから私に向かってじわじわとやってきて、いきなりヒュッと過ぎ去った。ああ、何かに乗りそこなった感覚。
それで今。
やりたいことはやったような気がするし、行きたいところは行ったような気がするし、もうどうでもいい。
ずどんと、大きな嫌なものを抱えているので、いっそ死ねたら楽になるだろうとも思っている。
でも。
「子供は15歳までは母親が必要だ」って、何かに書いてあったから、次女が15歳になるまでは、あと8年、とりあえず生きているとしましょう。
I先生 ご出産、おめでとうございます。
2008年4月10日 日常心より、お喜び申し上げます。
副校長先生から、お電話でこの知らせを受けたとき、私は、なんともいえない至福を感じました。
先生が赤ちゃんを出産されることは、ずっと前からわかっていたことなのに、まるで、思いがけずに、素晴らしい贈り物をもらったような気持ちになったのです。
(きっと、孫の誕生の知らせを受ける日も、こんな風に感じるのではないかと、思ったりしました…)
クラスの皆さんにお知らせしたら、やはり皆さん、祝福され、子供たちも大喜びでした。
先生の大きくなってゆくお腹を眺めて暮らしていた子供たちにとっては、感慨もひとしおだと思います。
暖かくはなってきましたが、天候も不安定で、寒さのぶり返しもあろうかと思います。
どうぞ、赤ちゃんも、先生ご自身も、お体にお気をつけくださいませ。
そして、赤ちゃんの様子が安定したら、ぜひ、子供たちに会いに行ってあげてくださいね。
t.p.
副校長先生から、お電話でこの知らせを受けたとき、私は、なんともいえない至福を感じました。
先生が赤ちゃんを出産されることは、ずっと前からわかっていたことなのに、まるで、思いがけずに、素晴らしい贈り物をもらったような気持ちになったのです。
(きっと、孫の誕生の知らせを受ける日も、こんな風に感じるのではないかと、思ったりしました…)
クラスの皆さんにお知らせしたら、やはり皆さん、祝福され、子供たちも大喜びでした。
先生の大きくなってゆくお腹を眺めて暮らしていた子供たちにとっては、感慨もひとしおだと思います。
暖かくはなってきましたが、天候も不安定で、寒さのぶり返しもあろうかと思います。
どうぞ、赤ちゃんも、先生ご自身も、お体にお気をつけくださいませ。
そして、赤ちゃんの様子が安定したら、ぜひ、子供たちに会いに行ってあげてくださいね。
t.p.
プールサイド小景 楢山節考編
2008年4月8日 日常・・・田舎のほうではね、呆けちゃったお年寄りの3割くらいが、行方不明になって死ぬんだよ・・・
・・・え?それって、わざと探しに行かないの?・・・
・・・うん、たまに交通事故死とかあるけど、あとは、山の中に迷い込んだりして・・・
・・・姥捨て山っぽくない?・・・
・・・そういうことだね・・・
・・・でもさ、ある意味、病院のベッドに縛り付けられて、チューブいっぱい突き刺さった状態で死ぬより、原生林の奥に迷い込んで、大木の根元かなんかで、そっと死ぬの、いいかもね・・・
・・・うん、体は腐って、植物の栄養分になって・・・
・・・あたしの栄養で、花が咲いたりして・・・
巨大な水槽の中で、死なないように泳ぎの練習をしている子らをぼんやり見ながら、私たちは、こんなこと話している。
・・・みんな、心配しなくて、いいよ、お母さんたちは、自分の死に場所くらい、自分で探すから・・・
・・・え?それって、わざと探しに行かないの?・・・
・・・うん、たまに交通事故死とかあるけど、あとは、山の中に迷い込んだりして・・・
・・・姥捨て山っぽくない?・・・
・・・そういうことだね・・・
・・・でもさ、ある意味、病院のベッドに縛り付けられて、チューブいっぱい突き刺さった状態で死ぬより、原生林の奥に迷い込んで、大木の根元かなんかで、そっと死ぬの、いいかもね・・・
・・・うん、体は腐って、植物の栄養分になって・・・
・・・あたしの栄養で、花が咲いたりして・・・
巨大な水槽の中で、死なないように泳ぎの練習をしている子らをぼんやり見ながら、私たちは、こんなこと話している。
・・・みんな、心配しなくて、いいよ、お母さんたちは、自分の死に場所くらい、自分で探すから・・・
次女を連れて、子沢山の友人と、これまた子沢山の家にお邪魔し、5時間ほどを過ごした。
自宅に帰ってからも、子供たちの声や、気配がまとわりついて離れず、うっとうしい。
私は、子供ってものが好きじゃないんだ。自分の子供は、自分に都合のよいように調教していて、向こうも私との付き合い方を心得ているから、なんとか耐えられる。
けれど、他人の子供は、予想外の行動・言動に出るので、一緒にいると、非常に疲れる。
お邪魔した先のお母さんは、自分の長男がいかに優秀かを誇示していたが、それに関しては、不思議なことに、ちっともイヤだと思わなかった。だって、彼自身は控えめで、ホントに賢そーなお顔立ち・立ち振る舞いなんだもん。
自宅に帰ってからも、子供たちの声や、気配がまとわりついて離れず、うっとうしい。
私は、子供ってものが好きじゃないんだ。自分の子供は、自分に都合のよいように調教していて、向こうも私との付き合い方を心得ているから、なんとか耐えられる。
けれど、他人の子供は、予想外の行動・言動に出るので、一緒にいると、非常に疲れる。
お邪魔した先のお母さんは、自分の長男がいかに優秀かを誇示していたが、それに関しては、不思議なことに、ちっともイヤだと思わなかった。だって、彼自身は控えめで、ホントに賢そーなお顔立ち・立ち振る舞いなんだもん。
子供たちと母の家に行き、昼食。
山菜御飯や、牡蠣フライなどを食べさせてもらう。
その後、子供たちを母の元に残して、お茶(煎茶)の稽古へ。
本日は、「蓋つき茶碗 煎茶丸盆手前」。
「もうすぐ還暦だから、お稽古のときは、必ずお着物着ようと決めたの」
とおっしゃる先生は、黄色い細かい柄のウールの着物と、モダンな配色の柄がお太鼓に出る黒い帯を、着ていらした。どちらも、親しい方たちから譲られたものだとか。
彼女も、ネグリが来日できなかった件について、憤っていた。彼女の息子は藝大の院まで行って美術をやっていたから、その影響かな。
山菜御飯や、牡蠣フライなどを食べさせてもらう。
その後、子供たちを母の元に残して、お茶(煎茶)の稽古へ。
本日は、「蓋つき茶碗 煎茶丸盆手前」。
「もうすぐ還暦だから、お稽古のときは、必ずお着物着ようと決めたの」
とおっしゃる先生は、黄色い細かい柄のウールの着物と、モダンな配色の柄がお太鼓に出る黒い帯を、着ていらした。どちらも、親しい方たちから譲られたものだとか。
彼女も、ネグリが来日できなかった件について、憤っていた。彼女の息子は藝大の院まで行って美術をやっていたから、その影響かな。
次女が、本日より、水泳教室に通うことになった。
広い温水プールを見下ろすロビーで、
ネグリの来日を阻止した、外務省の馬鹿さ加減について。
「事なかれ主義で行きたいんなら、フツーに来日させればよかったんだよね。土壇場で拒否るから、事が大げさになったんだ。フツーに来日させて、フツーにシンポジウムでもやらせとけば、何事も起こらず、更なる問題提起にもならず、事なかれ路線でゆけたのに」
わが子らのおぼれかかった姿を目で追いながらも、そんな感じで私と友人の意見は一致した。
広い温水プールを見下ろすロビーで、
ネグリの来日を阻止した、外務省の馬鹿さ加減について。
「事なかれ主義で行きたいんなら、フツーに来日させればよかったんだよね。土壇場で拒否るから、事が大げさになったんだ。フツーに来日させて、フツーにシンポジウムでもやらせとけば、何事も起こらず、更なる問題提起にもならず、事なかれ路線でゆけたのに」
わが子らのおぼれかかった姿を目で追いながらも、そんな感じで私と友人の意見は一致した。