私:自分の臓器提供は拒否。自分が他人の臓器を必要となる事態になっても、希望はしない。娘たちの場合も同じように考える。

が!
先日、次女をお風呂で洗いながら、その話になった。彼女は小学生新聞を購読しているので、結構事情に詳しい。
私が、
「たとえ、次女ちゃんが脳死になっても、次女ちゃんの心臓は、誰にもあげない」
と言ったら!
 次女は、急に、空っぽのバスタブに入って、うずくまって泣き出した(今の季節、シャワーしか使わないので、バスタブにお湯は張っていない)。
「もうすぐ動かなくなる私の心臓で、誰かを助けてあげようって、お母さんは思わないの?」
ええええ? そうきたかあ。議論の余地は大いにあると思ったけど、早くお風呂から上がってもらいたかったので、
「次女ちゃんがそうして欲しいと思うんなら、そうするよ!やさしいね、次女ちゃんは!」
「お母さんがケチだってことが、わたし、悲しい」
と、泣きじゃくりながら出てきた。
そういう問題かなぁ?

で!
本日、夕食を食べながら、長女と口論。彼女は、自分の臓器を提供してもいいと表明。
しかし、私は同意しない。
「私は、自分の子供の、まだ動いている心臓を取り出して、他の子供にあげる気持ちになんかなれない」
「それって、完全に、臓器提供側からの視点だよね」
「逆に、もし長女ちゃんや次女ちゃんが移植を必要とする身体になっても、臓器提供は望まない」
「なんで?」
「だって、リストの最後に載せられて、脳死の子供が次々に現れるのを待つなんていう、非人道的な状況に耐えられないから」
「お母さんの言っていることの意味が、私にはわからない。それじゃ、完全に臓器移植という医療を否定していることになるじゃない?」
「まあ、そういうことだね」
「もうじきなくなる命があって、その命の、まだ動いている一部で、他の命が助けられるのは、悪いことなの?」
「悪いとは思わないけれど、私は賛同できないの。脳死になった後でも、実際、何年も成長し続ける子供もいるわけだし、子供の脳死は、命の死だと思えない」
「管だらけで無理やり生き延びさせられている子供は、可哀想だと思うよ!」
「その子が可哀想かどうかなんて、長女の決めることじゃないでしょ!」
長女の目から涙がびしょびしょ流れてきた。
「お母さんとは、分かり合えない!」
「あー、そうだね、お母さんも長女の言ってることに、ちっとも共感できない」
長女、泣きっぱなしで、夕食終了。
そしたら!次女が(この人は、私と長女が喧嘩をすると必ず私の味方になる)、
「わたし、やっぱり、私の心臓は、誰にもあげない。だって、お母さんが悲しむから」
ええ? ポリシーないなぁ。
ってゆうかだよ? 第一、二人とも、脳死なんていう状況に陥らないでおくれよお!!!

いずれにしても、長女は、来月、15歳。さっそくドナーカードをもらうつもりらしい。
しかし、もし、そんな事態になったら、彼女には悪いが、そんなものは闇に葬らせてもらいます。

最後にさっき帰ってきた夫。
「死んだ後の臓器? そんなの、誰にだってくれてやるよ。だって、死後の魂は、身体にないからね。天の神のもとへ行くから、別に肉体に未練はないよ。え? 脳死って、心臓は動いてるの? その動いてるままの心臓を取り出すの? そんなのいやだよ! だって、痛そうじゃない? え? 脳は死んでるから、痛いのわからないの? そんなのわからないだろう? 脳が死んでたって、痛みは感じるかもしれない。僕、痛がりだからね。そんな野蛮な行為は、拒否するよ。娘たちはどうするかって? 君に任せるよ。僕が病院嫌いなの、知ってるだろう?」
なんかさー、あなたが、一番、レベルが低いよ…

昨日の深夜、大阪から帰宅した夫が、テーブルの上にある、長女が皮膚科で処方された大量の薬を見て、腰を抜かした。
「か、彼女に、一体何があったんだ? 何の病気なんだ? どうして、僕に何の連絡もしてくれなかったんだ?」
え? ちょっとした蕁麻疹とニキビですよ。そんなことでいちいち連絡していーのかね?

まあ、確かに、中身は抗アレルギー剤とビタミン剤なんだけど、いちいち錠剤が多いから、それが薬だと思うと、びっくりするわよね。

とゆう話を、今日は4人で夕ご飯を食べながら、していたのだ。
「もー、パパったら、長女ちゃんが、白血病か?癌か?って感じで、すっごい心配してたんだよ」
と、笑い話として長女に振ったら、突然、次女が怒り出した。
「お母さん、そういう言い方って、良くないよ。パパだって一応親なんだから、心配するの、当たり前でしょ? それを茶化すみたいに言ったら、パパが傷つくよ!」
私たち3人は、次女の真剣さに気圧され、私は静かに謝った。
「ごめんなさい」

だけどさ、よく考えてみると、「パパだって一応親なんだから」って言うのも、どうしたものか? 夫は、そんな微妙な日本語のニュアンスには全く無頓着だからいいんだけどさ。

学校で自転車講習会を受け、「小学生の自転車運転免許証」(写真つき。背景はブルー!)を手に入れてからというもの、暇さえあれば、お友達と自転車を乗り回している。

フランス語やピアノに行く前の1時間足らずでも、家でおやつを食べる間を惜しみ、飛び出してゆく。

私はドキドキ、ハラハラで、本当は行かせたくないんだけど。

「友達と自転車に乗るのがこんなに楽しいなんて知らなかったよ! 顔にあたる風が気持ちよくて、にこにこしちゃう!」
なんて、今まで見たことのない、活き活きとした表情で言われると、ダメなんて言えない。

ちょっぴりたくましくなって帰ってくる次女にハグすると、今までに嗅いだことのない、外気と汗の混じった匂いがして、その新鮮さが愛しくもある。

だから。
乗っていいのは、車の通らない緑道か、ガードレールで守られている歩道だけ。
車の通る道を渡るときは、必ず降りて、自転車を引いて歩くこと。
たとえお友達はかぶらなくても、次女は絶対にヘルメットをかぶること。
を、約束させた。

そして、
「お母さんが、次女ちゃんのこと大好きだってこと、忘れないでね!」
と、言って送り出す。これ以上怪我をしてくれるなというメッセージなんだけど、伝わってるかしら。

次女の誕生会
誕生日イベント第2弾。

父と母と弟が来て、家族7人でのお誕生日会。

近所のお寿司屋さんに「東京ばらちらし」を作ってもらって(←絶品!)、具沢山のサラダと具沢山のお味噌汁を用意して、和風の食事。ケーキは、ラ・テール(スポンサーは父。父は毎年、ウチに着くなり、長女と次女を連れて、散歩しがてら、私の注文しておいたケーキを受け取りに行く。1年に1回の父の楽しみ)。

フランスからの荷物も届き、プレゼントは盛りだくさん!
ゲーム(三角のドミノ)、DVD、シリリュスのブラウス(シック!)、お姫様の絵のトレー(キュート!)、シルバニアファミリー(森の洋服屋さん)、筆入れ、漢字辞典、カチューシャ(あわせて4本)、ナルミヤの商品券(父はこの商品券をゲットするためにのみ、この子供服屋の株を買っている)、「ちゃお」(←私は読ませたくないのだが、こういうときに長女が買ってやってしまう!)…

最後に、次女が、私たち6人それぞれに、用意していた手紙&アクアビーズアート作品を渡した。
これは私も知らなかったことで、ほんとにサプライズ。
感謝の気持ちと母の体を気遣う手紙に、母は涙を浮かべていた…
弟は、「誰かさんの子供とは思えないほど、やさしいな」だって!?
夫は「嬉しいけど、フランス語が間違ってる」などと、ぼやいていた…
(しかしこれには、ヒストリーがあって…。1週間ほど前、次女が私にさりげなく、
「ねえ、わたしが誰かにフランス語でお手紙を書くとしたら、わたし一人でがんばって書いて間違いだらけなのと、お母さんに手伝ってもらって間違いがないのと、どっちがいいと思う?」
と、訊ねたのだ。それで私は、
「間違っていても、次女ちゃんが一人で頑張って書いた方が心が伝わるんじゃないの?」
と、答えていたのだ。だ・か・ら! わかってやれよ!夫!)

次女とは9年の付き合いになるわけだが、成長とともに意外な面が表れる。
だから、飽きっぽい私でも、子育てを楽しめるのだろう。
長女とは全く性格の違うところも面白いし。

満身創痍のお買い物
午後、次女が暇そうだったので、
「お買い物に行ってきてくれる?8枚切りの食パンなんだけど」
と言ったら、
「行く!×10」
と、大張り切り!
スペイン土産の革のお財布に300円入れて、自分で書いた絵をプリントしたエコバッグを持って、
「いってきまーす!!!」
と、出かけた。

マンションを出て坂道を登りきったところに小さな食料品店があるのだ。

10数分後。インターホンが鳴る。小さな次女の頭だけ映っている。
「可愛いちゃん?」
「ううう…・」
エントランスを開錠して、玄関のドアを開けて待っていると、思いっきり元気のない様子の次女が、帰って来た。
「どうしたの?」
「転んじゃったの。お買い物に行く途中で転んじゃったの」
洗面所に連れて行ってよく見ると、膝や肘にいくつも傷があったので、キレイにして、血の出ているところには絆創膏を張った。顔にはギプスが張り付いているし、まるで試合で負傷したボクサーみたい…
「転んじゃって、怪我したのに、そのままお店に行って買ってきてくれたのね。えらいね、ありがとう」
「でも、せっかくエコバッグ持って行ったのに、それ言うの忘れて、お店の袋に入れてもらっちゃった…」
気持ちが動転していたのだろう。
でも、「おつりはあげるよ」
と言ったら、目をキラリンと輝かせて、
「わー!うれしい!」と、大喜びだったので、その件はそれにて終了。

だったはずなんだけど、寝る前に、
「今日は、怪我をしたのに、頑張ってお買い物してきてくれてありがとう」
とお礼を言ったら、泣き出した。
「わたしね、最近お母さんにたくさん心配かけてるから、喜んでもらえるチャンスだと思って、すごく嬉しかったの…。それなのに、転んじゃって、またお母さんにお世話かけて、ほんとにごめんね…。わたしって、どうしてこう、お母さんに迷惑ばっかりかけるんだろう…」
大泣きモード。
「いーの、いーの、次女ちゃんの心配をしたり、お世話をしたりするの、ちっとも嫌じゃないよ。だから、ゆっくり休んでね」
と言って、布団の中に押し込んだ。だって、ここで大泣きされたら、たまっている洗い物や家事ができなくって、ほんとにメイワクなんだもん!

校長先生が次女にプレゼントしてくれた本。

わがままで、いばりんぼうで、なまけもので、ウソつきで、食いしん坊で、おっちょこちょいで、すっとぼけている王様の話。
この本の目次の前のページに、
「どこの おうちにも こんな 王さま ひとり いるんですって」
と、ある。ので、娘たちに、
「うちの王さまって、だれだろうーね?」
って、訊いたら、口をそろえて、
「お母さんじゃない?」
だって!ムカッ!


そんでもって、長女!
朝、次女が学校へ行かないので、寝坊を決め込む私の部屋に、飛び込んできた。
「寝坊したぁ!!!」
「寝てるお母さんを起こさないのが我が家の掟でしょ!?で、今何時よ?」
「9時半!お母さん、学校に電話してぇ!」
「!!!!!」
そ、そんな…。7時55分には着席して先生を迎えなければならない規則の学校に、あたしが今頃電話してなんて言うの…? 起き抜けの頭は、全く回らない…。
「やだ、お母さん、電話できない!」
「だって、遅刻のときは、保護者が電話しなきゃならないんだよ!」
「でも、やだ!」
「じゃー、自分で電話するよ!」
学校に電話して、謝る長女。
だいたい、夜遅くまで、「ガラスの仮面」を読みふけっているからいけないんだよ!

でもって。
昼間、暇な私と次女。
長女の汚部屋にものを取りに行ったら、次女が、私に箱を見せた。
「おかあさん、お手紙がいっぱい入ってるよ」
どれどれ。お友達が授業中に内職して書いて長女にくれた手紙が詰まっていた。
もちろん私は読みました。うちの子供たちには、人権もプライバシーもないの。
コイバナあり、先生の悪口あり、その他モロモロありで、大笑いした。
ってことは、長女も授業中に内職して手紙書いてるのか?
帰ってきたら叱らなきゃ!


やっぱり私って、王さまかしら?

顔以外は元気な次女。
暇なときはいつも本を読んでいる読書好き。でもって、今は一日中暇。
というわけで、奮発してアマゾンで、6冊注文!
全部中古品だけど。
「中古がいいよ!その方がエコだよ!」
って、次女も言いますもんで。

今日は一日中、携帯メールや電話がじゃんじゃん鳴った。

養護の先生からも電話があって、
「私も、父親が一ヶ月出張しているときに雲梯から落ちて、顔に怪我したんですよ~」
なんて云われた。

八部衆像おたく
次女が、興福寺の八部衆像に興味津々で、八つの像の写真と説明を携えて、暇になると眺めている。ちょ、ちょっと、渋すぎない?
と、思ったが、これは、4月から彼女のために取っている朝日小学生新聞の影響だ。
朝日新聞社が主催している、国立博物館の阿修羅展の広告と記事を毎日読んでいるせいで、すっかり洗脳されてしまった。

まー、日本の文化ですからね、悪くはないけどさ。

ゴールデンウィークに、ひとつ、見に行くか~とも思うが、混雑ぶりを考えただけで、すでに疲れる・・

叔父様のエッセイを拝読いたしました。
ウィットとユーモアがあふれる文章の中に、知的に、そして優雅に年を重ねることの知恵がつまっていて、感銘を受けました。現役時代に全力でお仕事に尽くされた叔父様だからこその知恵だと思います。
その中に私が登場するのは、もちろん、光栄なことです。
ぜひ、5ヶ国語マスターの野望を達成なさってくださいね。仏語に関してなら、私たち、出来る限りのお手伝いをしたいと思っておりますので!

t.p.

今日から新学期!
次女は、仲良しのお友達と同じクラスになれて、ハッピーなはず…
なのに!

夕方あたりから、グズグズ言い出した。
「わたしね、可愛い定規もっていないから、今日、遊びの仲間に入れてもらえなかったの…」
「可愛い筆箱欲しい…。お姉さん、誕生日に買ってくれないかしら。だって、こんな地味な筆箱もってるの、わたしだけだもの…」
「可愛い文房具をもっている子は人気者になれるの。わたしは、みんなから相手にされないのよね…」

へーえ、あ、そお? ふーん、と、上の空で聞いていた私だったが、とうとう切れた。
だって、しまいにゃ、
「わたし、もう自転車に乗らない。だって、あんな古くて、さびた自転車乗っているのを、お友達に見られたら、恥ずかしいもの。みんな、新しいキレイなのに乗っているもの。絶対、馬鹿にされるに決まってる」
なんて、ぬかすんだもん!!!

そりゃー、次女の自転車は、長女がさんざん乗ったお下がりだが!

自分の持ち物を友達の持ち物と比較してひがむなんて最低だ。そんな理由で友達になってもらえないなら、こっちから願い下げだぜ?
第一、日ごろから「お母さん、ものを大切にしないのは、エコじゃないわよ」
って言ってるのは、自分じゃんかー!

と、言ったら、自分の部屋にこもって、鍵を閉めて、わんわん、わんわん泣いた。

私のほうまで、泣きたくなったよ…?

しかし、ここで、救世主として長女が登場した。
「次女ちゃんの自転車、今度のおやすみの日に、キレイにしよう!さびを落として、パパにペンキで、次女ちゃんの好きな色を塗ってもらおう!」
おおお、ナイスなアイデアじゃないか。だてに、大食いしてないな!

すると、次女が、そっと、ドアを開けて、
「ほんと?キレイになる?」
「うん、うん、キレイになる!そして、好きな色のペンキを塗って、世界に一台しかない自転車にしよう!」
「…わたし、お花の絵かいちゃおうかな?」

涙と汗でぐちゃぐちゃの次女をお風呂で洗ってやった。
「次女ちゃんの自転車、キレイになるの、楽しみだね」
「うん、さっきは、わがまま言ってごめんなさい。もう、私たち、仲直りしたよね? 仲直りした後は、もっと仲良くなるんだよ。友達とけんかした後、そうだもん。おかあさんのこと、前より、大好きだよ!」
そりゃまた、どーも!
でも、次女の中に、女子の物欲が芽生える瞬間を見ちゃったもんね。
この先がこわいよぉ…

祖母の23回忌
上野のお寺で、祖母の23回忌の法要があった。
叔父(母の弟)一家と、母、父、私たち家族が集まった。

とても若いときに未亡人になった祖母は、ずっと夫を想い続け、お墓参りを欠かさなかった。
「戦争で写真は全部焼けてしまったけど、私はちゃんと覚えているの。色が白くて、鼻がすぅーっと通っていて、ハンサムで、とても優しい人だった」
50年間、そう言い続け、お墓を守った。
そしてその祖母が亡くなって、最愛の旦那さまと同じお墓に入って、もう、23年。

本堂でお経を聞きながら、23年前のお葬式を思い出した。
あのとき、生まれて始めての、正真正銘の、本物の悲しさを味わった。悲しくて悲しくてたまらなかった。
「おばあちゃん、これでやっと、おじいちゃんにまた会えるね」
そう思うと、ますます悲しさが募ったのだった。

そんなことに思いを馳せながら、始めて法要に出席する娘二人を従えて、私はお焼香をした。娘たちも神妙な面持ちで、私のまねをした。
僧侶の方のお話も、しみじみと心に沁みてゆくものだった。
カトリックの洗礼を受けた娘たちにとって、仏教の儀式は新鮮だったと思う。
「私は、教会で聞くお話より、今日お寺で聞いた話の方が、好きだなぁ」
と、次女が言った。
「でも、根本では、同じこと言っていると思うよ」
と、長女が言った。

お昼は、梅川亭で頂いた。上野の桜を見下ろす大きな窓のある個室で、気持ちのよい会食だった。久しぶりに会った、私よりずっと年の若い従兄弟ふたりは、立派で賢いイケメンの青年に育っていた。
私と叔父は、祖母に関する思い出をたくさん話した。叔父は、眼鏡の向こうで、涙をぽろぽろこぼした。

そのあと、私たち家族は、旧岩崎邸庭園を訪ねた。
祖母は、嫁ぎ先が格上だったせいで、岩崎邸の別邸で一時期お手伝いをしてから嫁いだという話を叔父から聞いたので(昔はお嫁に行くのに、こういう手順を踏まなければならないケースがあったというのも興味深い)、なんとなく親近感を感じながら、立派なお屋敷やお庭を散策した。

プラネタリウムコンサート
昨日、プラネタリウムコンサートへ行った。次女と。


クラリネットアンサンブル(Es、B、B、バス)。

魔笛より(モーツァルト)

秋風・非難・旋風(ペグリ)

マリアのテーマ(ピアソラ)

ソナタ ト短調(アルビノーニ)

☆ 星空解説☆

おもちゃのシンフォニー(モーツァルト)

仮面舞踏会(ハチャトゥリアン)




椅子を倒して仰向けになって、星空を眺めながらクラの音色を堪能するのは極楽だった。


以前クラリネットを習っていた私が喜ぶだろうと、学校で配られたフライヤーを次女がゲットしてきてくれたのだ。そして区に申し込んで、行くことができたという次第。
ありがとう、次女、ありがとう、S区。

保育園事情に関しては行き届かないS区だが、子供を対象にした文化的な催しは充実している。
大きな劇場を所有しているので、優れたスタッフたちによる演劇やダンスや朗読などのワークショップがしょっちゅう開催されていて、次女は常連だ。


最近、次女と出かけるのが、ホントに楽しい。
手をつないで歩く、電車に乗る、バスに乗る、それだけで楽しい。
可愛さの賞味期限がそろそろ近づいているせいかしら?


お昼は次女のリクエストで回転寿司。
二人だと、思う存分食べても、4千円でおつりが来るのだった。
(ますます可愛いではないか! 長女も一緒だと、一万円近くいっちゃうもんね~)


ハンケチで鼻をかむ
夫は、ハンケチで鼻をかむ。この点においては、フランス人男の風上に置けるし、エコであるとも言えよう。

しかーし!
私は、その使用済みのハンケチを、どーしても洗うことができない。
生理的にできない。
夫のパンツを洗濯機に放り込んで、他のあらゆるものと一緒に洗うことは平気だけど、ハンケチだけは放り込めない。
だからと言って、手で洗うなんて、もってのほかだし!

だから、夫は週末になると一週間分のハンケチを、手洗いし、干し、アイロンをかける。
(もっとも、夫は我が家のアイロン係なので、自分のワイシャツも、子供たちの給食の白衣も、場合によっては私のブラウスまでアイロンをかけるのだが)


この話を、昨日、結婚2年目のSにしたら、
「あたしだったら、○○さん(Sの夫)がかんだハンケチで、自分の鼻もかめるよ!」
とエラソーに言った。
ほお。

ところで、Sが実家に行ったら、テーブルの上に「新婚さんいらっしゃい」の出演申込書があったそうだ。お母さんが、
「Sちゃんたちが出ればいいなと思って!」
書いていたんだそうで。
Sは、あきれた調子で、
「信じられないでしょ?」
と言ったが、
「へー、でも、そんなにラブラブなら、あたしも二人の名前で申し込んであげるよ!」
と、言って差し上げた。美しい友情だぜ!

「手作りのチョコレート菓子を作ってお友達に配る」ために、長女と次女が台所で、大張り切りだったのである。
無印良品で、手作りキットを何種類も買ってきて、混ぜたりこねたり焼いたり切ったり塗ったりラッピングしたりと。

甘い匂いが家中にぷんぷん漂って、女の子のかしましさがそれに輪をかけて、わたしの頭はクラクラした。

姉妹喧嘩のすったもんだのあげく、
(「どうしてお姉さんは、わたしに、あれ捨ててとか、これ捨ててとか、捨てる系のお手伝いばかりさせるの?」
「だって、失敗したくないもん」
「わたしが混ぜたり塗ったりすると、失敗するの? ひどい!」
「わかったわよ、じゃ、これ、混ぜて。ちょっとだけね」
「たくさん混ぜたいもん!」などなど)
ハート型のチョコレートケーキと、一口サイズのおしゃれチョコレートと、マシュマロをラッピングしたのが16個できあがった。

「こんなにたくさん、どーするの? そんなにたくさん、配る人いるの?」
「いるわよ、わたしが6個配って、次女ちゃんが4個配って、おばあちゃんとお母さんのもあるよ。あとは、予備」
「予備?」
「そう、あげなかったけどもらっちゃった人にあげるの」
年賀状みたい!(しかも、パパ、カウントされていないし!)

ふたりとも友チョコばっかで、本命はいない。
長女にしつこく、「ホントは誰か好きな人がいたりして!?」と詰め寄ったら、
「いないわよ。でも、本当に好きな人がいたら、こんな、美味しくない手作りなんかあげないわ。有名なショコラティエで、ステキなの買うもん」だって! 
「好きな人には手作りのもの」ってゆうのが、乙女心じゃあないんすか!?
平成生まれの女の子との、ジェネレーション・ギャップを感じた瞬間だった。

それにしても。
その後、チョコレートむんむんの台所で、ぶりの照り焼きを焼くのは、辛うございました。

しながわ水族館
へ、次女と二人で行ってきた。
ここへのお出かけは、もうずーっと、何ヶ月も前からの約束だった。

こじんまりしているけれど、なかなか工夫のある設計だと思った。
1階の生息地別水槽でそれぞれの生態をお勉強をして、地下に降りると、巨大な水槽をくぐるようなトンネルがあり、大きなエイや亀が頭上を飛んでいて、龍宮城気分が味わえた。別棟にはペンギンやアザラシもいて、次女は海の生き物に対して急速に親しみを覚えたようだ。

1年のうちでも一番寒いときだから、空いているだろうと思ったのだが、結構な混雑振り。
アシカショーは座席に座れたけれど、イルカショーは、15分前にはもう満杯で、かろうじてステージから離れたスタンドの通路の階段に座って見た。
イルカ2頭、アシカ3頭。どちらも素朴な見世物。
ヨーロッパでも有数の、ニースのマリンランドのショーを長女と見に行ったことのある私には、正直、素朴としか言いようがないのだが(だって、あちらはイルカやシャチやオットセイが10頭くらいずつ出てきて、人間と一体になって繰り広げる、めくるめくスペクタクルだったんだもの。もちろん、《イルカに乗った少年》もいて、日本人のお客さんにのみ、異様にウケていた…)、次女が満足していたから、これでいいのだ~。

(けど、よく考えてみると、長女は小学生のときにシルク・ド・ソレイユもジンガロも見ているのよね…。次女にもそろそろ、本物のスペクタクルを見せてあげるべきか…。)

お昼は、水族館のレストランで、ドルフィンプレートというのを食べた(イルカを食べたわけではないが)。公園の川に面したガラス張りで、居心地のよいレストランだった。長蛇の列だったが、待った甲斐はあった。
おみやげ物やさんでは、魚のシールを買った。



私も次女も、今日、初めて品川から京浜急行というのに乗ったのだった。
「お母さん、この電車、赤くて、可愛いね。この電車の窓から見える風景は、私たちの家の近くの風景と、全然違うね」
と、次女。ほんと、ほんと。これは、私たちの小さな旅。

帰りに渋谷で、父からもらったナルミヤの株主優待券とやらで、次女にpom ponetteの水色のスェット(裏起毛)・パーカーを買った。

地下鉄を降りて家路につく頃には暗くなっていて、止まっている車が巨大亀に見えたり、緑道の植物が水中に揺らぐ海草に見えたりして、水族館の続きのようだった。


今日、母の病院へは、長女が一人で行ってくれた。

フランス語のプライヴェート・レッスンが終わる頃に、次女を迎えにいくと…
「マダム、お嬢さんの想像力は、素晴らしいですね!」
ムッシュLが、頬を紅潮させて、愛しげに次女を見ている。
「は?」(なんとなく悪い予感)
「枯葉のお姫様の話を、沢山してくれましたよ!」
 そう言えばさっき、公園で、熱心に枯葉を拾ってたな…
「それで、今日のお勉強は、いかがでした?」
「えー、動詞のコンジュゲゾン(活用)を、ひとつと、いくつかのボキャブラリーについて、取り組みました」
 ノートを見ると、単語が5個くらい…
「それだけですか!!」

 私は次女をギロリと睨みつけるが、彼女はどこ吹く風。

 先生に馴染んできたと思ったら、もうこれだ。あなたのちっさい頭で考えるてることなんか、お母さんは、お見通しですよ?

 彼女は、フランス人の男を骨抜きにする術を心得ている。意識的にか、無意識的にか、無垢な少女になって、自分の想像の世界に、相手を引きずりこむのだ。そのテクニックは、動詞の活用を覚えたくないとき、綴りの書き取りをしたくないときなどに、遺憾なく発揮される。父親はいつもこの手にひっかかり、メロメロになって、勉強にならない。だから、こーして、高い料金(1時間5千円だぜ?)払って、プロの先生に習いにきているというのに!

「おしゃべりも結構ですけど、お勉強のほうも、シリアスにお願いしますねっ!」
 私は、むっとして、次女の手を引っ張って、教室を出た。
 私の不機嫌さを察していた次女は、しばらく歩くと、空を指し、
「おかあさん!ほら!とっても、可愛い三日月さんが出ているよ」
 あたしにその、かわいこぶりっ子は通用しないからね!と、思いながら、空を見上げると、小さくてきれいな形の三日月が、遠くの夜空にくっきりと浮かんでいる。
「三日月さん、お顔が描いてあるみたい…。よーくみると、お月様の見えないところの、まあるいところが、うっすら見えてくるよ…」
 確かに、太陽光に照らされていない部分も輪郭を残している。小さく見える月だけに、けなげな感じ。
「ほんどだ。可愛い○○ちゃんの見つけてくれた月は、可愛いお月様だわ」
あっ、いけない!あたしまでこんなこと言って、どーする!?

ウチの女の子たちは、この教則本からピアノを習い始める。
日本は、ドイツ派のバイエルから始める子供が圧倒的に多いが、ウチは、絶対メトード・ローズ。

なぜなら、フランスの教則本だから。
夫の母も、そのまた母も、ピアノと言えば、まず、メトード・ローズだったそうだ。フランス人になじみの深い、伝統的な曲が入っている。
フランスに滞在するときは、夫の実家のピアノで、毎日練習させる。
夫の母は喜び、子供たちとの良いコミュニケーションのきっかけになる。時には連弾もする。子供たちは、フランスの文化を身体で知ることができる。

ところで、次女は、3月から習い始めて、毎日1分半(きっかり)しか、練習しないのに、上達が早い。
長女も2年生から始め、中学へ入るまで、毎日30分(きっかり)練習していたが、ブルグミュラー止まりだった。

うーん、先生の差か、才能の差か。
一応、子供たちの前では、
「○○ちゃん(次女)の先生のほうが、きっと、教え方が上手なのよ」
と、言っているが。

いや、やっぱり、個性だね。
長女は、不器用だけど、コツコツ派。
次女は、要領が良いけど、飽きっぽい。


我が子らを、ヒトとして観察していると、なかなか面白い。

が、あった。彼女は、3月からピアノを習っている。

今回弾いた曲は、現在使っている、フランスの教則本、メトード・ローズからの2曲。

家族3人と、駆けつけた私の父と母が、一列に座ってにぎにぎしく鑑賞。
全員、手に汗握って(!)

ドレスを着た次女は、バリバリ緊張した面持ちで登場し、礼をして、まず、一曲ひいた。
それから、後ろを振り返り、スタッフの方に、なにやら文句を言っている。
スタッフは、慌てて、足を乗せる台をはずした。
そして、もう一曲。
弾き終えると、立ち上がり、なぜか2回も礼をして、去っていった。

音の強弱や、表情はなかったけれど、とりあえず間違えずに弾けたから、めでたしめでたしなのであった。
はじめて、スタインウェイのピアノを体験できたしね。

以前、友人がこの本を、うちのポストに投げ入れてくれた。
ちょうど書評を読んで関心を持っていたので、私は熱心に眺めた尽くした。

それで思ったんだけど。
私にとって、理想の間取りは、3畳一間だなと。

私は小さいし、必要最低限のものだけで暮らすなら、3畳でOKだ。


先日、娘たちと、私の老後の話をしていて、微妙な雰囲気が流れた。
(ちなみに夫の老後はフランスの老人ホームへ送り込むことに難なく決定。本人の承諾もなく…)
長女は、独身&一人暮らしを貫きたいと言う。
すると次女は、「私は結婚をして、お母さんのお世話もするもん!」と、私に抱きついた。

だもんで。
「お母さんは、誰のお世話にもならないようにするから、心配しなくていいよ。
お母さんの理想は、3畳のお部屋で、シンプルに暮らすことだから、老後はその理想を実現するよ」
と、言ったのだ。

そうしたら。
「いやだ~!なんでそんなこと言うの!?」
と、泣き出すではないか。
しまいには、
「それって、あてつけで言ってるの?」
と、言い出すではないか。

私の理想の間取りに、文句あるのかー?

昔、友達が3畳一間に暮らしていた。結構な大男だったけど、機嫌よく生活していたよ?

なんでハロウィーンなんだ?という、疑問の余地すらない感じさせない勢いでで、本日はハロウィーンだったのである。

まず、次女の登校班の子供会でハロウィーン・パーティ。オーストラリア人ママの英語絵本の読み聞かせに、みんなで聞き入った。(でも、オーストラリアでは、ハロウィーンの習慣はないんだって!)
その流れで、地域のお母様方が有志で引き受けてくださったお菓子ゲットポイントを練り歩くイベントに参加した(どのお家も、もんのすごい飾りつけ。中には、ドライアイスを炊いて、お化け屋敷の演出をする家も…)。
50人ほどの仮装をした子供とその親が、列をなして、徘徊する光景は、何も知らない人には異様に写っただろう…

女の子はおおむね、魔女(ハンズのドレス率高し)だった。
次女は、おフランス製のペチコート付きアンティーク風ドレスに、長女手作りの帽子で、“なんちゃって妖精”にしてみた。大人からの評判は上々だったのだが、子供たち的には今ひとつだったらしく、「魔女の洋服、買ってもらえなかったの?」などと言われて、次女、不満そうだった。

お母様方の中には、思いっきりコスプレな方もいらして、一瞬引いた(シスター姿とか!)。
ワタシは、ミッシェルのドクロTシャツに長いスカートと、ハンズで買った帽子で、“なんちゃって魔女”。

最後は、仲良しのお友達二人が我が家へなだれ込んで、魔女ごっこ。

しかし、なんで、ハロウィーンなんだー?
なんだって、こんな、縁もゆかりもない祭りをしなきゃならないんだー?

ワタシの心にも身体にも、馴染まないイベントだった。

でも、次女が、
「あー楽しかった!毎日がハロウィーンならいいのに!」
と言ったので、とりあえず許す。

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